読書日々 657

◆140131 読書日々 657
 新しい作品にであって、不安
 1/26 こんな文章を書いた。俊英の画家のパンフ用の短文(2枚)だ。板室温泉の大黒屋の室井俊二さんに依頼された。
《「新しい作品」考  山本雄基の一側面
 どんなジャンルであれ、「新しい作品」に出会うと、いつもというわけではないが、不安になる。一つは作品の行く末に、二つはその作品に脅かされる自分に対してだ。絵画では、時代を前後するが、ともにオランダで生まれパリで活躍したゴッホとモンドリアンの作品に出会ったとき、不安と驚嘆とが最高潮に達した。10代のときだ。そのとき以降、具象抽象を問わず、この二人の作品が絵画鑑賞判断の基準になってしまた。
 ゴッホ(1853~90)は数多くの傑作を残したが、無名かつ不安のうちに没した。モンドリアン(1872~1944)は「コンポジション」(1921)でモダンアートを切り開く。ともに「断絶性」という刃物で世界を震撼させ続けてきた。そのモンドリアンを再意識したのは、1970年代にソシュール『一般言語学講義』(1916)を繙読したときだ。「差異」と「関係の絶対性」が最新哲学のキイワードである。哲学のモンドリアンがソシュールなのだ。
 山本代表作「曖昧のあわ」(2009)を初見し、「みえないみえる」(2008)に戻って、不安と平安(癒やし)を味わった。山本の作品も「差異」と「関係の絶対性」を大前提とする現代性のなかにある。だがモンドリアンとはあまりにも対照的なのだ。山本の「泡」あるいは「璧」の重層からなる連作のコンポジションが、理念的には、哲学の創始者プラトンの「オン」(一)と、近代哲学の代表者ライプニツの「モナド」(単子)につながっているからだ。ともに単形の「原基」で、どこにもあるがどこにも見えない「実体」といわれるものだ。
 深読みをおそれずにいえば、山本作品は、DNAのように、無機から有機が、有機から生命が発現するような、飛躍と連続、未成と完成、欠損と全一の重層関係である、「重層的非決定」(吉本隆明)を表出しようとする。ただし「見えるものと見えざるもの」(メルロ=ポンティ)の理念を「調和的」に表出しようとする作品の展開で、その作品に「新しい作品」登場予感への期待と、避けがたい不安を抱くのはわたしばかりではないだろう。
 *モンドリアンの1921年、山本の2009年作品をつけてください。》
 まあ我ながら「哲学」気取の文章をひさしぶりに書いたものだ。
 脇田修は、わたしの学生時代、日本史の助教授だった。もう一人黒田俊男という助教授がいたが、ともに歴史研究者の名に恥じなかった。二人とも授業は受けなかったが、著書は、教授二人を含めて、読んだ。黒田は中世史で画期的な業績を残して亡くなった共産党員で、中公の「日本の歴史」シリーズの『蒙古襲来』の印税で書庫を建てたという風聞を聞いて、驚かされた。脇田さんはいかにも大阪生まれという感じの人で、書き方もまろやかだった。ご多分に漏れず左翼だったが、そういう書き方を極力排除していた。
 この人の『秀吉の経済感覚』(中公新書 1991)と『織田信長』(中公新書 1987)を急いで読んで、池上裕子『織豊政権と江戸幕府』(講談社 2002)を精読し、「秀吉の経済戦略」を書くことができた。
 室町中期から江戸中期まで250年余、耕地面積も人口も3倍になっている。この時代、史上稀に見る高度成長経済期だった。その頂点に位置するのが秀吉・家康治世である。「天下布武」(信長)から「元和堰武」(家康)への移行を演出したのが秀吉で、その駆動力が秀吉の経済戦略である。この点を戦時「補給」と「太閤検地」で見ようとするスケッチである。太閤検地は、とくに、兵農分離、土地は太閤の所有で、領主や武士は土地の自由売買を禁じられた支店長・支店員で、故郷喪失の都市住民にすぎない。百姓は、土地の売買を禁じられたが、実際は売買を黙許されている「地主」=使用者である。兵農分離こそ、農民の耕作意欲や土地開発欲を湧かさせる衝動力となった。鉱山開発・治水や新田開発の大規模土木・城郭都市建設等の技術革新に成功する。
 秀吉が信長の懐のなかで育ち、そこから飛躍し、そのあとを家康が襲ったということになる。これでわたしの「経済の哲学」の「商業資本」の章に背骨が入った感じがする。ここまでで170枚だから、ここで終わってもいいか?
 橋爪大三郎『橋爪大三郎のマルクス講義』(言視舎 2014.1.31)が送られてきた。読みたかったので、精読はあとにして、急いで一瞥した。何かぴんとこない。質問者のせいもあるかなと思えるが、「初印象」である。といっても判断は精読のあとにする。それで思い出したが拙著に『講義・マルクスとマルクス主義』(三一書房 1997)がある。ぱらっとめくったが、なかなかいい(!?)。自惚れにご勘弁を。