寒がりやの竜馬(言視舎)

9784865650198

吉田松陰や坂本竜馬は なぜ「竹島」を目指したのか?
そして竜馬にとって「蝦夷地」の意味とは?

 坂本竜馬は、福沢諭吉とともに、わたしにとっては特別な人です。でも、なにせ夭折の人です。それに、まとまった書物を残していません。その片言隻語〔せきご〕が、一人歩きするのをとどめることは難しい、といっていいでしょう。「わたしの竜馬」、あるいは「贔屓の引き倒し」どうぜんのフアン、トラキチならぬリョウキチが存在する理由の一つです。虎キチや竜キチを咎めることはできません。でも、竜馬の信用ある研究書の多くが、竜キチをベースに竜馬の「実像」を描いて、いいわけはありません。その「キチ」と思えるものの一つに「蝦夷開拓」があります。
 本書のテーマは、竜馬の「蝦夷開拓」計画の検証です。竜馬はたしかに「蝦夷開拓」を「初志」のごとく語っています。しかも竜馬の血縁が、多く旧蝦夷=北海道に足跡をとどめています。わたしも開拓民の四代目として、竜馬の「開拓」計画に強い興味を抱いてきました。でも、調べれば調べるほど、知れば知るほど、その開拓計画の輪郭がぼやけるのです。もっと大きな「開拓」計画が存在したからです。
 北海道生まれのわたしが、なによりも辛かったのが、京、大阪や東京の寒さでした。そんなわたしが、竜馬の足跡をたどっていて、妙なことに気づきました。「寒がりや」の竜馬なのです。竜馬は京の極月に、風邪を引き、踏み込まれて、気づくのが遅れ、むざむざと暗殺されます。その竜馬が、厳寒の蝦夷地開拓に耐えられると思ったのでしょうか。そもそも、本気で蝦夷地になぞ向かおうとしたでしょうか。わたしの素朴な疑問です。
 本書は、「開拓」をさらに大きな視野で見つめていた竜馬の視線に焦点を当てようとしました。なんとか書き上げることができたいまは、ほっとしています。(「あとがき」より)