読書日々 1020

◆210108 読書日々 1020 陳舜臣『枯れ草の根』
 今年に入って、ドカッとではないが、積雪が続いている。もっとも、過半は、美しい青空とまぶしいほどの光が目に飛び込んでくる。そんな折り、いそいで外に出て、軽く深呼吸をする。これはどうも子どものころからの習い性になっていたのではないだろうか? もっともMの住人に会うのが厄介だ。軽く挨拶をするが、空気を注入するために外に出てきた、などというわけにもいかない。それでも1月はいい。2、3、4月に続いているからだ。それに今年は(も?)加湿器が順調。ただうなり音が凄まじい。
 1 長く気になっている作家がいた。陳舜臣(1924~2015)で、わたしは、司馬(池波・藤沢)さん、開高健(作品以外では出会わなかった)、谷沢先生と呼び習わしていたが、陳(さん)の作品は司馬さんとの対談集以外には手に取ることはなかった。
 陳さんは、大阪外語学校出身(印語)で、司馬(蒙語)さんの一期上、内藤湖南→宮崎市定スクールに連なる人だ。だが、敗戦で日本国籍を失ったためもあって、研究職を失い、研究者になることを断念せざるをえなかった。
 陳さんの処女作『枯れ草の根』(1961)は、ミステリーで、江戸川乱歩賞を貰っている。今年、一仕事終えたこともあり、はじめて入手(講談社文庫)、一読した。それで納得した。ああ、読まなくてもよかった、と。
 司馬さんは、よくよく陳さんと旅をともにした。司馬さんの陳さん好きはよく判る。司馬さん流の粘着質がない。自分にない陳さんの乾いた表現に惹かれるとでもいおうか。陳さんの処女作には、風の音も、人の歩む微妙な調子も、埃っぽい空気の流れも、聞こえてこない。
 ま、わたしはミステリ好きだから、読み通し、それなりに面白かった、ということですが。
 2 「1枚の写真」(3)
 1948年4月、小学校入学時の集合写真(生徒50人)。前列中央に、長沢校長、太田教諭(新人女)が生徒よりいちだんと大きい椅子に座っている。
 場所は戸外で、雪融けが終わりかけの時期、泥濘の中という感じだ。もちろん「制服」(?)姿などない。てんでんばらばらの装いで、多くは編み直しのセータ、中には下駄履きという子もいる。写真もそのなかの子どもたちも、まさに敗戦直後の農村風セピア色である。
 白石村から札幌市に編入される前年で、学制改革も迫っていた。白石村立信濃小は開校100年を数年後に控えていた。いちおう教育熱心な地区だったといえる。当然、学制改革で中学設立を要望したが、市(と白石村庁)は、新設中学を白石と厚別(白石村は白石・東札幌・厚別の3地区)の境に立てると「決定」していた。厚別住民は猛反対、上の決定で生徒は3キロ先の田んぼの真ん中に追いやられる、に反発。ために「自主的」に新校舎をあっというまに建て、新教員を集め、小学校に中学を併設した。(いまにして思えば壮挙である。)
 もちろん、小学入学前のわたしには、その厚別あげての新学制対応騒動など分かるわけもなく、入学前、叔母たち(父の妹たち)に「鷲田小彌太」という漢字が書けない、この子は頭がのろいのではないか、など揶揄と嘲笑を愛の鞭という名で浴びせられた。ただし、名誉のためにいっておけば、わたしは名字を漢字で書けなかったのではなく、バカな叔母たちの命に服するを潔しとしなかったまでだった。(自分ではそう思っている。いささかあやしいが。)
 そうそう、入学式の集合写真で、わたしは、最後列(4列目)のなかほどにいる。ぼんやりした写真だ。後列の表情は、他人には区別つかないだろうが、自分だけには分かる。
 3 わたしはつねづね、主著は『昭和思想史60年』『現代思想』『人生論』といってきた。だが訂正したい。このうち2著は、わたしでなくてもかける。それで、主著は、『吉本隆明論』(新著をくわえて、定本としたい)『現代思想』『日本人の哲学』(全5巻)そして『三宅雪嶺 異例の哲学』(未刊)の4冊としたい。