読書日々 1101

◆220730 読書日々 1101  ひこうき雲
 昨深夜、ひさしぶりにカバーズ(NHK)を観た(聴いた)。松任谷由実のカバー曲で、メインゲストは秦基博(ひこうき雲)とJUJU(ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ)で、これはいつものようにイイ、というより(いまの)ユーミンよりイイ。
 秀逸なのは、再録だが、原田知世や薬師丸ひろ子が、実に良い味を出していた。もうけたかなと思った瞬間、金曜日が既に過ぎてしまったことに気づいた。もうどうにもならない。妙な表現だが、この日記がまたも忘れられてしまっていたのだ。原因らしきものがある。
 1 2月末に勃発したロシア(プーチン)のウクライナ侵攻の経緯に注意を払っている。といっても情報源は限られている。Mの一室に籠もったままだ。それに紙面には、特派員(correspondent)が発する現地報告(report)の類さえない。
 エッ、「文字」なんて、まだるっこい! その通りだが、文字できっちり残しておかないと、なんにも残らなくなる。そうそう、「ひこうき雲」は、宮崎駿監督「風立ちぬ」の主題歌だった。このアニメの主役は「零戦」で、「戦争と技術」 がメインテーマだった。いつものように、「抒情」が「技術」に優って、アニメの通俗に向かわざるをえなかったが。
 2 2002(平成14)~12年(退職時)まで、『日刊ゲンダイ』(札幌版)に週一でコラムを連載した。ちぎっては投げの連続だったが、この10年間は、緊張していた。その精髄は、『大コラム 平成思潮 後半戦』(言視舎 2018 p590)にまとめた。「時局」とつきあう、わたし(哲学)のマナーだ。
 あの緊張した10年が終わって、すでに10年である。というか、緊張しているときは、むしろ精神は自由というか、心が結ぼれていない。結節点をもっているからだ。意識せずに問題の中心に進んでいる(と思えた)からだ。これはある意味では「危険」なことだが、誤ったと思えたときは、すぐに「中心」(結節点)に戻ることを可能にした。それもこれも、書いた(文字で残した)からだった。
 3 2週間、この長大なコラムをトイレ本として読んでいた。しかし強く思い起こすのは、このコラムに登場しなかった第二次安倍政権の評価である。
 三宅雪嶺『同時代史』(岩波書店 全5冊)は岩波茂雄(1881~1946)の遺訓によって出版された、現代史の白眉である。この書については『三宅雪嶺 異例の哲学』(言視舎 2021)で縷々述べた。
 同時代史の出だしは、雪嶺が生れ、井伊大老が暗殺された「坂下門外の変」で、多くの「暗殺」事件が登場する。ところが、同時代史の最大の貢献者と評価した伊藤博文の暗殺については、暗殺者の安重根の略歴さえ記しておらず、伊藤の後継であった原敬暗殺者の中岡艮一にかんする記述はなきに等しい。雪嶺は「人物論」の名手であったのは間違いないが、ある時期からバイアス(偏向)がかかったのではとしか思えない。
 特に、晩年の隔日コラム(19431212)における、安田善次郎暗殺だ。
 安田銀行を興し、三井、三菱に次ぐ財閥。だが(だから)、《金の話になれば血相が変わり、別人のようになるとの事であった》。その安田が《朝日平吾という貧乏人に大磯別荘で殺された。詳しいことは分からぬけれど、金を出すか出さないかの話しの結果らしく、金とて何程の額でなく、身代に比べて爪の垢ほどでもなかろうに、それが非業の死を遂げたこと、金の計算で天下一品でも、その額の計算で案外に不得意、……。滅多に寄付金しないのも噂に上がり、……、つまり金を使うよりも、金に使われたが惜しい。》
 まさに、安田を拝金主義者で、強欲ゆえに暗殺されたといわんばかりの与太話である。安田は、渋沢とは違って、「陰徳」の主であったことは、ちょっと調べればわかるのに、雪嶺はそれしていない。
 安倍長期政権の功罪をまったく視野の外に置いて、暗殺者の個人的理由を起点に、安倍政治を論じるのは、どこに向かうのか? まさか、くだんの暗殺者、親の借財を負って、首が回らなくなったんじゃないよね。