◆250523 読書日々 1198
岩波の稿料は、いい 今日は、少し距離を延ばして、最寄りの小公園まで歩を進めた。厚別の実家跡に居を移してかなりになるが、その頃すでに始まっていたJRを南北をまたぐ高架道路拡張工事が、延々と続いている。付け足せば、北海道新幹線の完成は、私の生きているうちには陽の目を見そうもないだろう。公園はきれいに掃除はされていたが、あいかわらず、人っこ、犬っこの姿さえ見えなかった。 昨日、言視舎の杉山さんから、岩波書店の論文集に掲載された論稿や書評誌に連載されたレビュー等からなる一書『インビジブル・カレッジ』発刊可のメールをいただいた。 私がぽっと出のときだからもう50年前になろうか。1970年代前半当時、岩波書店の威力は、絶頂時と比べるとかげりを見せていたとはいえ、やはり近寄りがたいものがあった。正直に言って、自分と同年代の物書予備軍が岩波の『思想』や『世界』等の各種雑誌で書くのを見いだして、まぶしく感じられた。 それでも、どういう風の吹きかげんからなのか、私が50の坂を越す頃から、岩波からぽつぽつと注文が来るようになった。書評の連載、思想関係の講座シリーズの比較的長めの論考が3本、ともに推薦者がいるように聞いていたが、編集者たちと直に会うこともなく、推測はしているものの、誰とは確かめなかった。本当にありがたいことだった。「作家」などといっても、使ってくれる人がいなければ、陽の目を見ることさえないのだ。 岩波だからといって、特に気張ることはなかった。むしろ、「楽に行こう」などという逆感情が生まれて、苦笑したこともある。しかし、いずれも楽しんで仕事をした。 編集者のやりとりや編集上の曲折などもあったが、第一に、原稿料が格段にいいことに大喜びした。友人に、岩波(新書)や筑摩(新書)以外を「書物」とは認めない、頭の緩い人がいる。私はどこで書こうと、お構いなしで、多少顰蹙を買ってきた方だが、岩波の稿料のいいのにはビックリした。長生きするものだな、と感じ入った。