カテゴリー別アーカイブ: 著書

インヴィジブル・カレッジ 正統と異端 知の課題を総点検する(言視社)

 わたしも、人間の常として晩期の終末を迎えた。現在、思ってもみなかったおだやかな期日が過ぎている。それもあってか、文筆上のことで、気がかりなことがわずか「二つ」残ることになった。
 一つは、岩波書店から出た、三本の長めの論稿と連載「書評」集、その他若干の旧稿であり、いま一つは、月刊雑誌『理念と経営』に書いた、大小数々の「雑稿」だ。二つは、望外に広い分野にわたしを引き出し、ぞんぶんに書かせてくれた編集者が介在している。いずれも一冊にして残したい、という思いが強く残いっていた。
 本書は、岩波にかんするものだ。岩波書店(出版物)は朝日新聞とともに、1970年代まで、戦後日本の「世論」を先導してきた。私は、そんな意識と対峙すべく「論陣」を張ってきた(と自分では思っている。)ところが、90年代、岩波講座「社会科学の方法」(全12巻)と銘打って、出版された講座に、わたしも初めて起用された。しかも、三本もだ。
 第一に、「主題」(提示された表題)が面白い。第二に、ほぼ自由に書いていい、という趣旨だった。それで、すぐに快諾し、書く作業を始めた。通例のことだが、私は三本の「表題」(だけ)を編集部の指示に従い、中身は章題を含めすべて自分本位に書いた。
 第二に、勿論、(よく知られている女性)編集者(研究者?)から、ごく一部訂正を迫る文書が届きもしたが、私は自筆の責任は自分が負うので、とやんわり(?)と断った。ま、編集作業中、乱暴でかなり無知な編集者連とはよほど違った対応だったと記憶する。
 第三に、三本とも、内容上は、私がなじんできたフィールドであったが、当時の私の問題意識とも合っていたので、すらすらと執筆を終えることができた。そうそう、講義のレジュメを打つような気分で、すらすらと、一見すれば面倒くさい「論題」を終えることができた。一読をおすすめする理由の一端だ。(20250706 『インビジブルカレッジ』 「はじめに」)

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2都物語 札幌・東京(言視社)

 「2都物語」を書きたい。でも1人では心もとない。それで杉山さんを誘った。最近とみに書き始めた、手練れの編集者でもある。ドンピシャリ、連続ドラマ『団地の二人』があった。私の愛郷・厚別「もみじ台団地」と同じようなエレベータなし、5階建ての古団地だ。

 厚別(旧・白石村字厚別)と北多摩地区の郷土誌に分け入ることになった。私は性分として、どうしても「歴史」の筋道をたどりたい。杉山さんは、「歴史」ハンターのような臭覚を発揮する。

 私にとって、「最後の著作」かなと思いながら、調べ、書いた。面白かった。それでではないが、芯から疲れた。でも、満足している。

 さて。つぎの作品に挑戦できるかな? 鷲田小彌太

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藤原不比等と紫式部(言視社)

あとがき

 1 藤原不比等は、長いあいだ特段に気になっていた人物であった。私なりに、とつおいつ追い続けていたが、本書執筆の最初の契機となったのは、やはり馳星周さんの時代小説『比ぶ者なき』(中央公論新社 2016)であった。この小説には、人をそそる、そうそう、司馬遼太郎さんとはまた違った意味での、「人誑〔ひとたらし〕し」の魅力がある。

 くわえて、2024年度NHKの大河ドラマが『光る君へ』に決まり、その時代考証を倉本一宏氏が務めるというのだ。氏には『持統天皇と皇位継承』(吉川弘文堂 2009)という問題作がある。1960年代、わたしたちが親しんできた直木孝次郎氏や上田正昭氏たちのとは、かなり違ったというか、くっきりした論が展開されている、と思える。

 ただし、不比等と天皇制の問題には、光明子→皇太后の存在意味を明らかにしなければならない、という「失われたリンク」問題がある、というのが私の主張である。いわゆる「四文字元号」の歴史意味だ。

 2 源氏物語を中軸とする王朝文学の問題は、少し理屈か勝ちすぎている、と思われるに違いない。それでも、最澄と空海問題に、それに大伴家持と紀貫之に特段の光を当ててみた。

 それでも、「哲学」出の私のことだ。それに谷沢永一の薫陶を受けた。折口信夫と小西甚一の「学徒」に過ぎない。……ということで勘弁願いたい。

 それにしても、大石静の『光る君へ』は、面白く、切ない。文芸の極につながる。そう思える。

 2024年7月7日 盛夏            鷲田小彌太

人物名鑑 古今東西 いま関西(言視社)

『古今東西 今関西』あとがき

1 「関西人は世界人」のモデルを、主として、わたしは三人の関西人から教えられた。今西錦司であり、梅棹忠夫、そして開高健だ。しかも、高校生の最後近く、開高健の小説を読んだばかりに、受験校を阪大に変えたため、札幌圏から関西に流れてくる結果となった。

 といっても、わたしが「関西人」であることを自覚させられたのは、1980年代末の大学闘争で、東西の各大学院生協議会の討論中、わたしが関西弁で相手を辟易させたときではなかったろうか。わたしは、「議論」(論争)に勝ったと思ったが、相手は「奇天烈」なわたしの関西弁に戸惑った結果らしかった。

 いまでは、そんな機会はほとんどなくなったが、静かに議論するとき、わたしからおしとどめようもなく「関西弁」の「本音」が流れ出てくる(ように感じられる)。だが開高は、大きな声の持ち主である。関西風ではない(だろう)。一度だけ、来道した講演で、赤いセータを着た開高を見に行ったことがある。大声で、アマゾン川の水が涸れる、地球は砂漠化する、という環境破壊の現状を告発するものだった。文学者らしからぬ様に思えた。

2 哲学は、文学と同じように、「作者」抜きには存在しえない。わたしが「人名辞典=事典」類を多数書いてきた理由で、わたしの好きなスピノザやD.ヒュームを書く場合、いつも伝記作家になったつもりで書こうとしてきた。

3 そして、山田風太郎『人間最終図鑑』がみごとに示したように、人間のエキスは「死」に現れる。そういえば、わたしも『理想的な死』をはじめとした「人物」論を書いたのもまた同じような趣意からであった。

 日本人で世界標準の最右翼は誰か。福沢諭吉である。その福沢諭吉論を、時代小説スタイル(『福沢諭吉の事件簿』全3巻 言視舎)で書いたことも付記しておきたい。

 最後に、言視舎のみなさん、いつものようにありがとう。とりわけ社主の杉山さん、人物論を出すチャンスをいただき、深甚の謝意を表します。

 2023年11月末日 鷲田小彌太

納得する日本史<古代史篇>(言視社)

「異端」かつ「正道」をゆく

『納得する日本史 〈古代史編〉』(言視舎 20231031 215頁)
 1 「歴史」には「作者」がいる。歴史は「作家」が作るのだ。単数、複数を、有名、無名を問わない。おこがましくも、わたしもその「ひとり」と思ってきた。ただしわたしの場合、中心が「思想」の歴史、特に「哲学」の歴史であったが、これも立派な「歴史」である。(ま、恩師の谷沢永一先生には、「哲学はイデオロギーで、空無じゃないの?」と一蹴されたが。) 

2 わたしは、中・高の歴史「教科書」にさえ、自然と聴き耳を立てずにはおられなかった。正確には、地理と歴史の教科書に、である。もっとも、教えてくれた「先生」の「魅力」(「偏見」)に負っていたと思える。「先生」が歴史の「演出者」〔ディレクター〕であった。 なんだ、教科書など、いつ(年号)、誰(偉人)が、どんな事件(事実)をおこしたのか、の寄せ集め(パンフレット)じゃないか。無味乾燥きわまりない。こう、反論されるかもしれない。でも、「645」(ムシ・ゴヒキ)という「記号」からどんな「物語」を紡ぎ出すかは、あなた(シナリオ・ライター)の腕次第なのだ。 わたしはといえば、後年、『日本書紀』の「大化の改新」のところで、現代語訳ではあったが、その「クーデタ」劇のあまりにも「陰惨」な描写に、「何で、こんなに『リアル』でなくちゃいけないの?」と思うと、眠れなくなったことを、今に憶えている。まるで「劇画」なのだ。 

3 わたしは総じて新しがり屋だ。一冊、「本」を読むたびに、「時代小説」や「漫画」であろうと、ときには漫画にこそ、大きな「刺」激を受けてきた。「軽薄」という誹りを免れえない。たとえば、安彦良和『イエス』や『ナムジ』をはじめとする「神話」の劇画に興奮する。司馬遼太郎の諸作品は、言うに及ばない。 

4 それで、一足飛びにいっておう。 第1、時代の画期を示すと思える、わたしが決定的に影響を受けた諸「作家」(歴史家)の「作品」を基軸にすえ、その「意味」を明らかにする。 第2、大口を叩くようだが、日本「正史」といえるものを獲得するために、日本史を包括的に理解する筋道を示す、「異例の日本史」の一端なりと例示できうれば、幸いだ。ま、大口はこれくらいにしよう。
 〈序〉である。一読、笑覧あれ。