◆250509 読書日々 1196 「傍観者」になることができれば
どんどん暖かくなる。気分は、多少ともよくなって当然だが、老齢が重なる。ま、晴ればれすることは期待できない。本はドラッカー傍観者の時代ーーわが20世紀の光と影』(1979 〔ダイヤモンド社〕)を、とつおいつ読んでいる。小説を読むように面白いが、旧版・邦訳なので、ギシーッと詰まって、2度目の挑戦なのに、読み進みにくい。 「傍観者」というのは、ドラッカー自身の「自己規定」でもある。一見、若いときから「現実」に執着する思考者・ライターでもあったドラッカーには、意外な表現のようにも思える。でもそうではないのだ。 「同情心」と「傍観者」の「弁証法」(至って便利な用語だ!?)が重要なのだ。ヒュームやアダム・スミスのキーワードでもあった。 でも、残念ながら、ドラッカー論は、書き上げることは叶わないだろう。そう自己了解している。何、石にでもかじりついても、思想家(哲学者)ドラッカー論を書き上げたいという望みは消えていない。しかし、もう一度、ドラッカーの著作を読み通す気力は残っていない。でも、読みたいのだ。書き切ってみたい「魅力」に満ちている。 キルケゴールから始まってポスト・資本主義=消費資本主義まで、笑止千万と思われるかもしれないが、ドラッカーの思想遍歴は、私のと基本同じとおもえる。 2 私は、第二次世界大戦を、平和勢力(米英仏露中)と戦争勢力(独伊日)の対立・抗争だとはつかまない。第1に、国家資本主義と国家社会主義との戦、第2に、国家資本主義=米英仏のニューディール政策と日独伊の国家独占資本主義があった。こう把握する。