読書日々 646

◆131115 読書日々 646
「学校」で教わる・「受験」勉強をする重要性はもっと単純明快に主張されていい
 さすがに朝日新聞だ。オピニオン欄で、「今こそ政治を話そう」という提題で、「異論」(朝日にとっての)を大きなスペースを割いて載せている。わたしにとっては正論と思えるものだ。井上達夫(法哲学)「あえて9条削除論」(10/26)や今週の芦田宏直(哲学)「脱・点数主義の罠」(11/12)である。
 「改憲論」については2014年版『現代用語の基礎知識』で「特集」しているが、井上の意見がずっとシャープだ。わたしは改憲論者だが自民党の自主憲法草案はいただけない。
 日本人の哲学3『政治の哲学』の中心論点に、憲法論がある。コンスティチューション( constitution)とは文字通り「国体」のことだ。日本の国体がどうあるべきかは、日本の国体はどうであったのか、今どうなのかという歴史の理解抜きにありえない。
 芦田(54年生まれ)は文部省や大学が大学入試で唱えだした人物本位の選抜に異論を唱えている。福沢諭吉『学問のすすめ』がミリオン・ロングセラーになったのは、貧富・身分・門地門閥に「関係」なく「点数」次第で望むところで学ぶことができるとしたしたからだった。諭吉が学んだ「適塾」(阪大医学部の前身)もまさに点数主義・テスト主義であった。それが塾生の学力を高めるものとなった。アメリカでも日本でも、大学に入る学生が「学ぶ」習慣を身につけていない。おのずと学ぶ習慣を身につける、みずから学ぶ重要性を悟る人は、よほどの人だ。わたしはであったことはない。司馬遼太郎や谷沢永一先生は学校で学ぶより、図書館や書斎で学んだという。受験勉強はしなかった。嫌いな学科は頭に入らなかったからだ、という。こういう人は特殊である。おおかた(多数)には奨めることはできない。
 芦田さんは早稲田で樫山金四郎(ヘーゲル『精神現象論』の訳者で女優の文枝の父)さんの門下生のようだが、ペーパーテストの弊害よりも「人物本位」の弊害のほうが大きいことを的確に衝いている。
 いま大注目のフェイスブック(上場したばかり)のナンバー2、シェリル・サンドバーク『LEAN IN』(日本経済新聞 13.6.25)を仕事で読んだ。(そういえば「ソーシャル・ネットワーク」という映画をTVでコピーしてある。が、観るのはこれからだ。)LEAN INとは「一歩を踏み出せ」という意味で、女性に企業のトップを目指せというすすめである。ビジネスでも家庭でも、「男女平等」を目指し、実践している著者は69年生まれで、その成功がめざましい。ハーバーとを出て、ビジネススクールに進み、財務庁の首席補佐官の後、グーグルに入り副社長にまで上ったのに、まだ海のものともわからないファイスブックの創業に請われて加わり、難物の若い創業者(いままだ20代)の側でビジネスの先頭に立ちCOO(最高執行責任者)になったまさに絵に描いたような女傑である。
 成功者の「論」はどれもうさんくささを免れない。成功したから論が成り立つという「結果」論にすぎない場合がほとんどだ。しかし、競争し、選抜に勝ち抜き、めざすポストをえるというのは、ビジネス界では、正常な精神である。否、ビジネス界だけではないだろう。吉本隆明がすごいと思えたのは、ポストではないが、その主著『言語にとって美とは何か』を書いているとき、「勝利だ!」「勝利だ!」と呟いた、というくだりを読んだときだった。もちろん見当違いにこんなことを叫ぶ○×は無数にいるが。
 無性にミステリが読みたい。時間がたっぷりあるのだから、読めば、という声が聞こえる。しかし難しいもので、たっぷりある時間をたっぷりと使って生きることができるかというと、そうではないのだ。読書時間をとれなかった30代には、寸暇を惜しんで読書をした。せずにはおられなかった。
 でも時間がある。ウオーミングアップもあって、森英俊『世界ミステリ作家事典』(国書刊行会)の「本格派篇」(1998)「ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇」(2004)をぱらぱらめくっている。ともに1000頁ほどあるが、なまじのミステリ評論より内容が濃い。まず『樽』のクロフツの『クロフツ短編集2』(創元推理文庫)を数編読んだが、既読感はあるものの、初読としか思えない。まずいとは思えないが、やはりまずい。