読書日々 1659 希の希に、書評の仕事が入った

◆240823 読書日々 1659 希の希に、書評の仕事が入った
 学問と文芸にとって、「書評」は一国の文化水準を決定する「尺度」だと思ってきた。それに、私事を述べれば、30代から40代にかけての「注文」は、ほとんど「読書」新聞・雑誌からの「書評」もので、原稿料は「ただ」同然の低賃であった。それでも、「本」が手に入り、読んで評し、活字になる。ど「田舎」に住んでいたから、論壇から全く無縁であったので、多少の「刺激」をえることができた。それで、どんな仕事も断らずにやってきた。それが今に続いている。何、年に1、2回の度数に過ぎないが。
 ただ長く生きてきたに過ぎない。とはいえ、書評類を並べたら膨大な数に上るだろう。『日本人の哲学』(全5巻全10部)を完成する、ならば、自分の読書世界を総動員しよう、未読のものは気づくかぎり読破すべし、とおもって、およそ10年、65歳から75歳まで、足腰が立たなくなるまで読みふけり、書き綴った。
 この時期、本の世界、それを元本とした書く世界が、私の唯一無二の世界になった。などというのはげさだが、およそ、400字詰め・4000枚の『日本人の哲学』を書き終えても、日々の読書世界は終わらなかった。車を捨て、歯がだめになり、メガネをかけると0.1までは見える。裸眼でどうにか読むことはできる。TVは、見る世界であるが、聴く世界の比重がぐんと大きくなった。
 長姉が、ついに介護施設に入った。末妹はすでに亡くなって3年余を過ぎた。まわりはどんどん消えてゆくようだ。私もその予備軍だが、ギリシャ悲劇の「余話」の、書評を仕上げて、ほっと(?)している。そうそう思い起こした。
 大学院で、ギリシア哲学の授業にでた。長沢信寿先生(非常勤講師)が膨大な「原稿」用紙を読む態の「貴重」な講義の3年間、学生は私一人だった。筆記するのがやっとだったが冗談一つもない、しかしのちにモンテーニュ『エセー』につながる、貴重なギリシア哲学の講義だった(と思える)。