読書日々 1168 睦朗さん120歳まで生きてね!

◆241026 読書日々 1168 睦朗さん120歳まで生きてね!
 1 昨日、旧「厚別墓地」と「厚別弾薬庫」跡について調べている途中、「墓地」は智徳寺のとなりにあった(現在の新さっぽろの中心地)、寺の隣に、戦後、西部さん一家が住んでいた。その西部さんのお父(母)さんは長沼うまれで、お寺出身、その縁で智徳寺の隣に移ってきたのだった。西部邁(すすむ)さんの著書に、そのお母さんが、戦後、米軍に摂取された弾薬庫の「敷地」に、「薬莢(きょう)」を拾いに行った」という箇所があった、という記憶がある。
 私の生まれた厚別は、実に散文的で、非文学的である。邁さんの「文章」を引いて、雰囲気を出そうなどと思ったのが運の尽きだった。西部さんの著書はそろっている。確か『センチメンタル・ジャーニ』ではなかったか、と探したが、とんと見つからない。他書にも目をこらしたが、……そのうち活字がぼーっとしてきた。仕方なく、自室に戻り、別な手はないか、と考えているうちに、25日がブログ更新の日だったなどは、頭の隅から消えてしまった。それで、いまこれを書いている。まずいと思うが、「記憶」の普遍的メカニズムに違いない、と自分を慰めている。
 2 高橋睦郎(1937~)さんが文化勲章を授与された。何度か、いつも複数だったが、お会いしたし、俳論や文芸評論などは、愛読書の一つであった。最も傑作だったのは、野幌は安念さんの「ドラマシアターども」で、独演会をやったときのことだ。ムツロウさん、細い体で、水の入った樽桶をまえに、暑かったので半身裸、「120歳まで生きる方法」を披瀝した。ムツロウさんの俳論も洒脱だったが、その話っぷりも爆笑というより、心の中を頷きたいな、という笑いだった。といっても、仙人ではなく、谷川俊太郎さんに通じる、訥々(とつとつ)のマルイタレント風情だった。
 3 妻の車で、ひばりヶ丘、青葉町、もみじ台、そして、大麻団地を一巡りしてきた。ひばりヶ丘は「団地」だったの? という風情しかなく、青葉町は、新さっぽろを押し包むように、大阪万博跡の千里団地と思えるようなスケールの町に変貌していた。
 そしてもみじ台である。いままだ、そのスケッチさえ描けていない。いろんなところで、団地(跡)が、人の侵入を拒む、草木に覆われた「原野」に変じたところを見てきたが、まさか!、じゃないね、という印象を完全に拭い去ることはできなかった。青葉台の隣接地にある、ここも札幌市の「計画」によってできた大団地だ。どうする?