◆241129 読書日々 1173 読書の便法
寒くなった。といっても、室にいるので、外に出ないかぎり、「寒い」とは気がつかない。まずいね。しかし、こんな状態が、この10年近く、ずーっと続いている。ま、贅沢といえば、これもそうか。
水曜日、街に出た。1年に、せいぜい2度くらいになった。もうすぐ、師走だが、「教師」をやめて12年、歳を数えると、茫々たるものだ。原稿に手を入れ、ぼやぼやしていると、この日記を忘れているのに気がついた。心せくと思っていたのは、このことあるが故だったのか。
読書で困難な問題にぶつかったとしても、爪を噛んだりしない。一、二回攻めつけてみるが、放り出しておく。
モンテーニュの言葉だ。一六世紀のフランスの人で、ギリシア・ローマ哲学・文学を自家薬籠中のものにして、近代西欧の読者に精力的に解読、紹介した哲学者で、その畢生の名著『エセー』は、たった一冊で古代ギリシア・ローマ思想の概略と細部を味読可能にする、奇蹟のような書物だ。もちろん邦訳も何種類かある。
モンテーニュは膨大な読書量の人だ。その彼が、難解な箇所にぶつかったら、拘泥せずに、放り出しておくにこしたことはない。固執すればするほど理解不能になるし、楽しい気分でなくなる、というのだ。ただし難解で放ってしまった箇所も、何かの折、判然とするところがある。読書の小さくない醍醐味の一つである。
モンテーニュはまたいう。「もしその本がつまらなくなれば、私はべつの本をとりあげる。何もすることがなくなったときにだけその本に身を入れる。」
私の流儀は、モンテーニュの流儀をまねしたわけではないが、この変人をなぞってきたように思える。「なぞる」という生ぬるい流儀だ。奨めたくはないが、「便利」だ。『資本論』を一〇年間かかって全巻読んだという人にであった。最初読んだ箇所はとうに忘れているだろうな、と思えた。