◆241220 読書日々  1176 ワタ・ツネが亡くなった
 1 12日、渡辺恒雄読売新聞「主筆」が亡くなった。98歳。
 わたしは、ずーっと、80年近く、読売ジャイアンツフアンだ。いまでも、ジャイアンツが負けると、夜のビールがまずい。もちろん、渡辺の言動にも無関心ではいられなかった。
 人は、渡辺や安倍晋三を、「保守・反動」のように言うが、二人は、「保守」でもないし、「反動」でもない。「日本と日本人」が「保守」すべきものを、一度も明示していない。できなかった。
 朝日新聞は、戦後すぐ、渡辺が「日本共産党」に入党(すぐ離党)したことを記している。だが「大地主の息子」太宰治でさえ、「かりそめ」にも共産党に入党したのだ。ええ、渡辺は、大手(世界一の購読者数を持つ)新聞の「主筆」で、根っからのリベラリストだったが、「国粋」主義者ではなかった。それに、国民の「基本的権利」をかかげながら「兵役の義務」を一度も積極的に語ろうとしなかった。
 2 祖父は職業(プロ)野球には無関心だった。しかしわたしは、暑い夏の日、中島球場にお供させられ、東洋高圧砂川や太平洋炭鉱等が出場する試合観戦で、アイスクリームにつられて、声援を送っていた。ただし、父も私も、巨人フアンで、『ベースボールマガジン』が私の最初の購読対象となった。この父は、跡継ぎで、米、酒、塩、醤油の日常品から、石炭、木炭等の燃料、それに雑貨全般を広く販売する店で、一人朝早くから立ち働いていた。
 3 渡辺の発言で、忘れえないのは、プロ野球の発足まぢかの選手会との「面談」で、「選手会」そのものを認めない「激語」であった。私には、「君らは労働者か?! ならば同席できない」、と聞こえた。「門前払い」である。もちろん、選手会の代表には届かなかっただろう。
 祖父もそんなところがあって、ひとを招き、だれとでも「花札」を引いていたが、その「仲間」を花札以外では敬して遠ざけた。平気で「無視」した。