読書日々 1197 初めての二人散歩

◆250516 読書日々 1197 初めての二人散歩
 暖かくなった。体調は戻りつつある。ここ数日、歩数を伸ばし、近所を散歩しだした。多少ふらつくが、ま、歩けるていどにはなった。
 14/15日は、厚別の総鎮守=信濃神社の恒例の夏祭りだ。参道には出店が並ぶ。規子さんと散策を決め込んだ。おそらく、「散歩」は結婚以来はじめてではないだろうか? そう言えば、子供たちとならんで歩くという経験もしたことはなかった。「生活」の時間帯が、違っていたことにもよるが。
 空は抜けるように青く、時折強風が襲う。神社と一体となった、小学校のグランド下に歩を進めたとき、「新道」をかけあがる突風に帽子を取られ、それをとろうとして転倒しそうになった。帽子をつかんでいたのだから転倒したのかな? いまの体調では、情けないが怪我は回避できた。
 まわりは少年期の地形とはまるで違った景観になっている。それでも、足取りはおかしいが、二人の少年・少女期の記憶が同じなので、知っている地形や木々、それにまったく更新された家々を互いに一つづつ、かげうすくなった過去の記憶を確認しあい、私の方は、ほうほうとの体で小学校まで戻った。校庭に散在する〇×碑などを覗き込み、参道まで戻った。その翌日だ。私の足腰は、筋肉痛で悲鳴を上げている程度だ。
 70で定年退職し、76才で、自分では「集大成」と思って書き上げた『日本人の哲学』(全5巻)を書き終えたとき、同じような症状に襲われた。だが、それは、椅子に終日自身を縛り付けたからだった。今回は「年齢の壁」によってで、「身体」それも「思考」が「凍結」状態にあるからだ。
 「弱音」でいうのではない。でも、まあ、できることはあると思っている。いまは「身体」それも「思考」が時々ぷっつんする。したがって、この「日記」も、入力はできるが、うまく「表出」できないケースが続いている。ま、わたしの「現状」段階を現わしているので、決して、コンピュータのゆえではない。
 この歳まで、パソコンを使ってきたが、そのPCを自在に使えなくなっている。でも、初めてPCを使ったときより、現在の方が、「程度」においてはずーっと「進化」しているのだから、不平を言うと罰が当たる。