◆171117 読書日々 856
GHQの欽定憲法
寒い。といってもここは箱の中、外が見えない。外気が直に進入してこない。先々日、薄暗くなって、子供の頃よく歩いたところを一周してきた。といっても、まるで景観が違う。住宅と車道の網の目の隅をたどるに過ぎない。でも老人でも歩くことができる。なによりもいいのは、放し飼いの犬がいないことだ。一帯はマンションを含む住宅街だが、散髪屋・理容院とコンビニのなんと多いことか。対して個人営業の日用・雑貨店や食堂が全くない。
1 わたしの旧家は、雑貨商だった。両隣が理髪屋・理容院(大坂・大浦)で、旧国道12号線をはさんで、布団打ち直屋(野田・村上)、蹄鉄屋(岡崎)・魚屋(高松)、自転車屋(俵谷)・畳屋(新谷)・本屋(藤元)・たばこ屋(小島)・旅館(浜)等が並ぶ、厚別のメインストリートだった。もちろん街灯(?)はついていた。
しかし現在、残っているのは、大坂理容院だけ、住んでいるのは、新谷・小島・樋口さんだ。それでも、老人のぶらぶら歩きで、ときに表札のある家に当たる。岩田・鷲田(前の家)・中澤・田中等々が住んでいるようだ。
2 当面、することがなくなった。いつもなら、新規に始めるところだが、「福沢諭吉の事件簿」(2巻)を読み直した。面白い(!?)。
諭吉は、大隈重信と同じように、早期国会開設論者で、開設された国会で憲法を起草し決定すればいいと主張した。だが、できあがった憲法は「欽定」で、その憲法下で国会が開設された。日本国憲法は、法制上でいえば、大日本帝国国憲法の改正憲法だ。とはいえその本体は、GHQ草案の憲法で、GHQから下しおかれた=欽定と基本で変わらない。「はじめに『言葉』ありき」だ。日本から「戦力」(パワー)を骨抜きにするという、日本=属国仕置きでの一事例である。
諭吉は、できあがった憲法を見て、自分の旧識が完全に間違っていたことを再確認した。
諭吉は、第二次長州征伐も含めて、薩長の尊王攘夷論は、デマゴギーで、日本を破壊し売国する結果になると考えた。諭吉は、日本の文明開化が、幕府主導によってはじめて可能になる、と考えたのだ。龍馬の大政奉還論とよく似ているが、小栗忠順の戦略であった。
ところが薩長藩閥政治は、諭吉が望んだような、日本独特の立憲民主制を生み出した。これを是とする諭吉の応答が「帝室論」だ。天皇を政治の外に置くという、象徴論である。
3 わたしは龍馬がビジネス(実務)音痴だと考える。龍馬は何度も海難事故に見舞われたが、その対応は、岩崎弥太郎が評したように、「山賊商法」に似ていた。ビジネスにも鬼才を発揮した「学商」諭吉とは、同じ歳ながら、まったく異なる才の持ち主だ。
わたしの諭吉=事件簿は、諭吉と竜馬を対応させつつ、幕末を説き、14年政変(伊藤博文の政略)と開拓し払い下げ問題をセットにして、権力闘争の実質を説くなどというものだ。ただし、権力闘争で賭けられているのは、ときどきの勝利ではなく、文明開化とかデモクラシイの実質である。伊藤から原敬へと続く日本政治の本道だ。
なにか、年をとると、駑馬になるが、この諭吉論は残したいな、と切実に思える。もちろん自分ファーストでもある。
4 鮎川哲也は、アンソロジーに入り、やがて迷い道へと進んでいるようだが、まだ止まらない。これはこれでいい。こちらに持ってきた本には、段ボール箱に入ったままで、手を触れていない。何とかしなければと思うものの、なんともしがたい。まずい。
12/2 きらくの忘年会があるまで、手帳が空白だ。珍しいが、これからはこういうことなのだ、と納得するところもある。