読書日々 1036

◆210430 読書日々 1036 茫々たるホームズ
 昨日、長沼の旧宅に行った。といってもわたしは「足」を失ってかなりになる。外出は、妻の運転でだ。晴天で、車の窓を開けなければならいほとの暑さ。すでにゴールデンウィークが始まっているのか、自家用車が多い。
 庭の数本の桜はほころびはじめたが、まだ開いていない。それに、いつもは敷地内が湿気を帯びているのに、今年はからからに乾いている。平茸やぎょうじゃにんにくは、すでに盛りをすぎたというか、固くなっている。それでも、夜、鶏と茸のみぞれ鍋と野草の天ぷらがひさしぶりに食卓を飾った。ま、二人だから、飾ったというのは、ちと大袈裟ではある。
 1 シャーロック・ホームズは、「年譜」上、1854~1957を、103歳まで生きた。1903年引退、イングランド(たしか)海岸南部の農園で、ミツバチを飼い、悠々自適の生活を営んでいる。記憶力の低下に悩んだ、Mr.ホームズ、93歳に、事件捜査依頼が持ち込まれてきた。
 映画『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(2015)で、BS3で昨日放映された。わたしはすでにDVDを入手し、何度か見た。 リリックな調の主題曲をCDで購入し、昼寝のバックグランド・ミュージックのひとつにしている。
 ホームズ全集は2種(菊判と文庫)揃えたし、マンガ全集もある(はずだ)。
 大英帝国の絶頂、ヴィクトリア時代(の光と闇)を肌で感じようとするなら、ホームズものを読むに若くはない、といわれてきた。わたしもその通弊にならったわけだが、ホームズものは、ロシア、英本国、米、日等々でのパスティーシュものを含めて、かなり読んだし、DVDも集めうるものは集めて、全集をはじめ、楽しんだが、多くは、画面が荒く(暗く)、現在では再見しようとすれば、うっとうしさが先に立つ。
 2 ホームズとポアロは、「天才」型の探偵だが、真反対の生活スタイルを生きる。わたしは「思考法」の本を何冊か書いてきたが、サンプルとして、ときにホームズ型とポアロ型を対比させて論じた。もっとも、二人の対比は、ものごとを分りやすくするためのもので、「探偵」は、警察が組織的というか機能的捜査を常とするのに対し、組織も権力も持たない探偵は、つねに「はじめに犯人ありき」で、捜査を進める。
 だが93歳である。「直観」はことごとく狂う。どうするか。
 ホームズは、まず敗戦直後の日本を訪問する。記憶力回復の秘薬といわれる髭山椒(ひげさんしょう)を求めて、原爆投下直後の広島にやってくる。だが結局、秘薬の効能は現れない。どうするか? 記憶の導火線となったのは、「香り」である。マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(1913~27)のテーマだ。
 3 シャーロック・ホームズのパスティーシュ(模倣作)も無数にある。
 『別れを告げに来た男』(Goodbye to an Oldfriend 1973)等で、ロシア共産党政権の崩壊を見事に「予告」正しくは「予感」させた、ブライアン・フリーマントル『シャーロック・ホームズの息子』(邦訳上/下 The Holmes Inheritance 2004)がある。フリー・マントルの作品は、ソ連崩壊前に書かれたものだと緊張感があるが、その後の「息子」は面白いが、ま、それ以上ではないし、いま評判のアンソニー・ホロビッツの『絹の家』( 2011)も、残念ながら、わたしの頭が受け付けなかった。
 探偵は、推理というが、端折っていえば、「予見」と「予断」で始める。「老」ホームズには、予見も予感も、的外れ。とんと沸いてこない。確たる手がかり(key)が見つからないのだ。……
 小説のなかだけことではない。Mrホームズだけではなく、わたし自身のことでもある。グーグルがなければ、ホロヴィツもフリーマントルも、遠い波間の藻屑と化している。ただし、わたしには、かろうじて自分が書いたものが残っている。当たりを付けるていどのことは、可能だ。
 4 Mrホームズの手がかりは、ワトソン(書く人)が残してくれていた。その「香り」を手がかりに、真相に迫るシャーロック。だが、過去の自身の過ちに到達する。過酷か? そんなことはない、と思える。茫々たる、である。