◆220722 読書日々 1100 暗殺者の倫理
陽射しが強い。当然といえばそれまでだが、なにせ7/22日だ。まで真夏ではないが、もう夏だろう。この北国にででも。
1 「ブラタモリ」は楽しみにして、観ている。先週は能登だった。
能登はおよそ30年前ではなかったか、主宰した評論教室で一緒に仕事をした連中(主婦連)と、金沢から奥能登まで行き、内陸海側まで経巡り、帰りは富山空港から千歳に戻ってきた2泊3日の「大」旅行で、能登半島をほぼ一周、レンタカー(小型バス?)の運転をわたし自身が仰せつかるという、目まぐるしいスケジュールではなかったろうか。
わたし自身は、海の「大地主」と言われた、輪島市の山間にある下時国家の豪壮な館を見聞することが出来た。収穫であった。中世史の扉を開く鍵になるそうな。
ブラタモリの呼びものは、各地の歴史案内人や地質愛好家がガイドに立って、タモリと質疑する面白さだ。しかし、驚くというより、なんだ? というような質疑もある。イルカおくりの儀式(能登では縄文期からある)が、アイヌの鯨おくり(熊おくり)の儀式に由来するという、案内(郷土史館長?)人のとんでもない説明だ。
いやはや、アイヌ原住民=日本人先祖という虚説が、能登でもまことしやかにまかり通っているんだな?! ま、能登の先端珠洲から渡島半島まで、船なら、予想以上に近いね。
2 現在、殺人は刑法の対象になったが、つい最近まで、人間が侵してはならない、3大タブー(禁忌)の1つとされてきた。3大タブーとは何か? 否、そもそも禁忌とは何か? それを犯せば、極刑になるという、刑法上の対象ではない。それを犯せば、もはやおまえは「人間ではない」とされる罪である。
では人間の3大タブーとは何か? 殺人、近親相姦、人肉食である。私は倫理学を専攻した。
もし、近親相姦や人肉食を犯したら、どうなるか? これは倫理学で正面からほとんど論じられないが、倫理学が避けて通ることの出来ない根本問題だ。《殺人・近親相姦・人肉食》を執拗にテーマにした1人が、ミステリ作家の江戸川乱歩であった。なんの解決点も示さなかったが、なかなかだった。わたしなどは、江戸川乱歩と隣り合わせになったら、気持ち悪くてかの顔など正面から眺めることなど出来ない。そう思える。じゃあ、殺人は、人間にとって不快・嫌悪・憎悪の対象なのか?
フロイトのエロスとタナトスである。なぜもうオマエは人間でないという禁忌が、愛の対象なのか? これに倫理学が答えなければならない。
撲殺で、いやな奴が目の前から永遠かつ完全に消え去る。これほどの快があろうか? 母が息子と、姉が弟と、性合を果たす。これほど簡単で充足に満ちた秘密の結合はあるだろうか? 人肉という栄養価百パーセントの完全食を確保できたら、食糧問題は完全に解決する。
しかも、このどれも、じつに簡単ではないだろうか? だが、なぜか人間は、殺人・近親相姦・人肉食を、それを犯したら人間ではない、と厳禁してきた。ただし、殺人の禁忌の紐はほどけてきたが。
一つの厳然たる答え、簡単にして最高の快楽を与えるからだ。だから、密やかであるか、公然であるかは別として、禁忌を破るをやめないのである。人間は止めることが出来ないのだ。
何で止めるか? 《それを超えると、もうお前は人間ではない》という禁忌=習俗によってだ。
おそらく、安倍元首相を暗殺した人間には、禁忌=殺人の意味は、分らないだろうね。母の不始末で、破産に陥った、あれもこれも不如意になった、という理由で、《殺人》=暗殺を犯したとするのだから。
禁忌とは、どんな理由はあっても、犯してはならないことだ。エッ! 犯したらどうなるの。どうにもならないね。苦しむの? この「?」(マーク)が倫理の問題だ。