◆130726 読書日々 630
二つの新刊書を手にした。岡田英弘著作集1と拙新刊書である
この数日、涼しい。というかじっとしていると冷える。ま、これが北海道の夏でもある。
7/25 「たぱす」で田中忠昭(筆名不破俊輔)さんに会う。滝川からのお出ましだ。今日、拙著『時代小説で読む! 北海道の幕末・維新』(亜璃西社 13.7.30)ができてくるというので、差し上げる約束をした。本書で、不破俊輔『シーボルトの花かんざし』(北海道出版企画センター 2012)を紹介したゆえでもある。時代小説にかんする著作はこれで9冊目になる。何はともあれ新しく刷り上がった本を手にするのはうれしい。田中さんは早速びっくりするほどの冊数を注文してくれ、亜璃西の和田・井上両氏を喜ばせた。
今週は『日本人の哲学3 政治の哲学』の執筆を中断して、旧稿に手を加えている。万事にスローモーになって、なかなかはかどらないが、まあ時間はあるのだから、おのずと「終点」は目に見えている。一応にもせよ、できあがっている未刊行の著作が、15冊ほどある。半端な数じゃない。が、これが多いのか少ないのかわかりかねるものの、ケチな性分としてやはり、未刊行では惜しいと思える。
『岡田英弘著作集』(全8巻 藤原書店)が刊行されはじめた。まずは「1 歴史とは何か」(13.6.30)である。既刊本の再編集かと思えたが、未刊行の論攷を主とした編纂で、谷沢先生の「撰集」編纂の参考に大いになるのではなかろうか。
わたしはかつて『日本人のための歴史を考える技術』(PHP研究所 1999)という書題で、古代史を書いたことがある。邪馬台(壱)国論争、聖徳太子はいなかった、大化の改新、天皇と天王、等について書いたが、歴史素人のわたしが主として依拠したのは渡部信一郎さんの新説と中国史の宮崎市定さんの論考だった。この本を読み直して強く感じるのは、当時まだ岡田さんの『世界史の誕生』や『日本史の誕生』等を読んでいなかったことから来る、「ミスリード」があることだ。
歴史について、理念的にも論理的にも考え書こうとする人は、岡田さんの「歴史」考を是非ともくぐり抜けなければならない。そう強く思える。1926年生まれの渡部さんは、また執筆・著述を再開し、「新世紀の古代史」と銘打ったシリーズが信和書房から続々と出だした。岡田さんは31年生まれだが、どうも具合が悪いらしい。それでも妻で弟子の宮脇淳子さんを中心に、「あとがき」等から察するに、この著作集はできあがる(ている)ような感じがする。日本が他国、とりわけチャイナやコリアと異なるのは、書物か大事に保存されてきたことだ。岡田さんは本書で、文明のある国として、英仏独の西欧と日本をあげ、歴史のない国として、米露中をあげている。この短い箇所を読むだけで本書を買う価値があると思うが、どうだろうか。
藤原書店は、現在、思想を論じるほどの人間ならば、この出版社から本を出したい、と最初に思える出版社である。社長の藤原さんは、1949年生まれで、大阪市大経済学部出身、73年に新評論にはいって編集者稼業をはじめた、とインタビュー記事ある。1978年、三重短期大学教授の伊藤幸一先生の推薦で、新評論から『マルクス・法哲学批判序説』を出させてもらった。空き地に真ん中(?)からぶった切られ、その部分がビニールで覆われた社屋に二瓶社長を訪ねたことがあった。まだ駆け出しだったので、何を話したか記憶に全くないが、あっさり出版を快諾してもらった。たしか重刷りになって、印税もきっちりもらったのではなかったろうか。
ともあれ、日本の学会では異端児であった岡田歴史学が、まとまった形で残されることになった。本著作集は、日本が「歴史」ある文明社会である証拠をまた一つ残しえた記念碑でもあるだろう。「文化」勲章はこういう人・業績に与えられないと、「章」としての価値がますます下がるのではないだろうか。
わたしにとっては「新稿」と思える論文を撫でるように愛でるように読んでいる。