読書日々 632

◆130811 読書日々 632
二日遅れの日記、お詫び申し上げる  同窓会の案内について
 朝、目をこすって朝日の読書欄を見ているとき、ふと気がついた。〈今日は日曜だ。金曜の「読書日々」は書いたのか、? ?〉恥ずかしながら失念していた。理由は二つある。
 1 『政治の哲学』が戦後編から戦前編にうつる「山場」だったこと、(どうにか切り抜けることができた。)
 2 昨(土曜)日、重ねるようにして世界陸上が始まった。TV観戦のため一度も欠かせたことのない(?)日記を書く方に気が向かなかったのだ。
 といっても、もの忘れの一種である。気をつけたらいいが、それ以上でも以下でもないか。それともお盆である。地獄の蓋が開いて、父や母が呼んでいるのかな。まさかね。
 佐藤誠三郎の「大久保利通」(論文集『「死の跳躍」を越えて』都市出版 1992)を読もうとして、この論文が筑摩の現代日本思想体系10『権力の思想』(1965)に入っていることに気づかされた。神島二郎が「総説」を書き、山県有朋を除いて、大久保(佐藤)、伊藤博文(松沢弘陽)、原敬(三谷太一郎)、近衛文麿(岡義武)がそろって出てくる。筑摩の思想体系は何度も利用してきたはずだ。忘れていたのか、気に留めなかったのか、憶えがないのだ。といっても、『政治の哲学』でメインにおいている戦前の政治家たちの関係書は、かなり読んできたはずなんだが。
 佐藤誠三郎は、東大文の国史を出て、法・政治学(岡義武講座)に入った変わり種で、丸山真男批判を書いたためか(?)、立教大の教壇に立ち、東大・教養学部に戻った。わたしは、歴史モニュメント類にほとんど興味を示さないたちだが、紀尾井坂付近のホテルに泊まることが何度かあったとき、早朝、大久保が暗殺された現場(近く)に足を運んだことが一度ならずあった。大久保は郷党の一人に、陛下の前で、政敵に連なる者を冷酷無比に葬った難を咎められることがあった。クールで過酷な大久保が家族思いであったことは、少しも矛盾しないだろう。
 それにしても日本近代政治を切り開いた、大久保、伊藤、原の三人というか「三傑」がともに暗殺されたことは、もっと強く日本人の肝に銘じておいてもいいのではないだろうか。
 伊藤が安重根に暗殺されたことを革命的「快挙」のようにいったり書いたりしているライターがいる。歴史に「真実」を求める、真実はかならず顕れる、という標語を掲げてだ。だが、「真実の歴史」などというのは、「怪物のような麗人」と同じように、それ自体が形容矛盾なのだ。(怪物のような麗人は存在するが。)「歴史」は「主観」(owner や auther)の上に成り立つ「物語」である。このことを忘れずにいったり書いたりする必要がある。
 大学の文学部の「同窓会」の案内があった。40年近くなるが、一度も出たことはない。ただし会費は払っている。郵振りを取り出すと、ひょいと案内の文字が目に入った。布引敏夫(国史)さんが講演をするという。懐かしい名前だ。講演は新島八重についてだ。心ならずもいってみようかなという気にさせられた。
 布引さんは、入ったときは2年先輩で、歴史学研究会に入部したとき、まだマルクス主義歴史学が全盛期であったのに、ロマンチストのような文学青年であった。坂口安吾の小説を読め、などといわれたが、昼間から小説の話などする人にはじめて出会ったので、戸惑ったことを憶えている。そういえば、教養部のときは歴史科に進む気でいたのに、やめてしまったのは、歴研に入ったからではなかったろうか。わたしは京や奈良の人の行かない古刹(?)などをとぼとぼと歩くことが好きで、「科学」としての歴史をあまり信じてはいなかった。まだ司馬遼太郎の時代小説を読む前だったが。
 そのわたしが、司馬を、古田武彦、網野嘉彦、石渡信一郎、宮崎市定、そして岡田英弘を読んでいる。尋常な数量ではない、と思える。布引さんには会いたいが、会にはいかない。