◆130816 読書日々 633
終戦記念の日を知っていますか?
8月15日は「終戦の日」ではない。何度か書いたが、この日、日本国(政府)は連合国側が「ポツダム宣言」に提示した「降伏条件」を受諾した日である。日本国(政府と元首)は連合国側(アメリカ、イギリス、チャイナ)に「降伏」を公表したが、「降伏文書」に調印したのは、9月2日、米戦艦ミズリー号においてであった。(このとの文書で連合国側にソ連が加わった。)だから、この日まで戦争は「続いていた」のである。ここからさまざまな「敗戦処理」上の難しい問題が生じた。
正確な「終戦の日」は9月2日である。色摩力夫『日本人はなぜ終戦の日付を間違えたのか』(黙出版 2000)がきわめて丁寧に記述したとおりだ。
もう一つ重要なのは、日本の降伏は無条件ではないということだ。「ポツダム宣言」という条件(日本軍の無条件武装解除という条件)が付いていた。「降伏」は「双務的」である。連合国側をも拘束する。ところがこの「有条件」を忘れ、無視するような言動が、終戦後、日本と連合国側双方にあった。今日でもなお続いている。とくに日本は無条件降伏したという「常識」がマスコミ紙上で流布されている。
ドイツ軍は無条件降伏した。ところがドイツ「政府」は交渉相手として連合軍に認められなかったのだ。ドイツ軍が無条件降伏した5月7日から、ドイツ国家は「征服」され「消滅」し、一九四九年西ドイツと東ドイツが誕生するまで、存在していなかったということになる。戦前のドイツ帝国と戦後の両ドイツは「連続」して居ていないので、ドイツに「国家賠償」は許されなかった理由である。
対して日本帝国と日本国とは「連続」している。(法律上でも、日本国憲法は帝国憲法の「改正」なのだ。)だから日本国は、連合国側と対日平和条約を結び、平和条約を結んでいない(領土問題を残す)ソ連とは「日ソ共同宣言」で、国家賠償を処理することができたのだ。
薩摩の松木弘安(寺島宗則)や五代才助(友厚)が、薩英戦争後、一時身を隠していた熊谷市郊外の奈良村や、そこから利根川を挟んだ対岸にある太田市に出向いたことがある。福沢諭吉との関連を調べるためであった。日本一暑い地域ということで、その暑さ真っ盛りの時を選んで訪れた。温度計を見なかったが、優に38度は超えていたのではなかったろうか。ただし想像した程度の暑さだった。
ところが今年は土佐が燃えている。土佐にも夏の真っ盛り、龍馬の歩いた跡を調べるために訪れたが、ここも蒸し暑かった。今年は四万十市で40度以上を連続3日超えたという。想像出来ない、と思っていた。来週月曜19日上京予定がある。キヨさんからファックスが入った。東京も暑いという。エジプトのルクソール、ローマやベネチアの真夏の暑さを思い起こさせられた。とくに「最後の晩餐」がかかっている寺を見学するとき、バスが停止している場所から、100メートル先の展示場の入り口までのかんかん照りのなかを進むときの暑さといったら、たまらなかった。もっとも車いすを押していたからなのかもしれない。大気が乾燥している。皮膚が、とりわけ目玉が縮みあがる思いがするのだ。日本は湿気があるから耐えがたい暑さになるというのはたしかだが、地中海地方では水と塩を補給しなければすぐに脱水状態になる。
そんなことを思い起こしながら、長沼の馬追山に住んで30年近く、暑くても涼風が吹き込む、ここの夏はまさに天国だと実感させられる。
今度の世界陸上は日本選手が低調だ。というか他国の選手も全体に調整不足なのか、ぱっとしない。それが記録に表れている。それにTBSの独占放送だからなのか、放送時間がやたら長く、総合司会の二人のタレント織田や中井も、つねにはしゃぎすぎで、競技のおもしろさを半減させていると感じるのはわたしだけではないだろう。それでもこんな夏の暑い夜、涼風に吹かれながら観戦出来るのだから、文句など言わない方がいいのだが、何せ飲み過ぎになる。