◆130823 読書日々 634
齊藤愼爾『周五郎伝』に興奮して
8/19~21 上京する。この時期、観光や移動のせいか、安い航空券が手に入らない。ケチな客には一寸つらい。SKYは行きも帰りも満席である。
8/19 内神田の中小路にあるUZU(渦?)で巡礼仲間が20人あまり集まって納涼会(?)となった。安倍首相の奥さんが関係している、山口産品だけのいま評判の新規居酒屋だそうだ。
わたしは居酒屋が一番おいしいものを出す場だと実感し、ずっと居酒屋オンリーで飲み食いしてきた。しかしUZUのは「お番菜」料理である。原型は京の家庭料理で、わたしなどは大皿料理と思っている。「無農薬」を奉じ、材料を吟味し、丁寧に作っていても、大皿でどんと出てきて、それを取り分けて食べるのだ。まあいってみれば、ほとんどが作り付けのものである。居酒屋がいいのは、注文した一品、二品にあう酒を飲みながら味わうことができるからだ。どっと目前にならぶ酒肴という形式は苦手である。手が伸びない。酒の味も落ちる。酒好きには残念だが、婦女子の皆さんはこういう形が好きらしい。
8/20 懸案(?)だった「いすみ鉄道」を経験しに大多喜に行く。大多喜は現在は山のなかの寒村(?)という処だが、もともとは徳川家康の三河以来の重臣、本多忠勝が開いた居城のある、10万石を領する城下町だった。(忠勝はのち桑名藩を開く。)浜松町から高速バスであっという間に大多喜に着いたが、バス停から駅まで遠い。炎天下をとぼとぼと歩く。というか「歩けた」。「いすみ」は「夷隅」で、路線は外房の大原から上総中野まで、その先は中野から内房の五井まで小湊鐵道に接続する。ワンマンカーで1600円、縦断乗車券で堪能した。じつに乗りごたえがある。
夜は言視舎の杉山、田中さんと浜松町の焼き肉屋で肉と酒を堪能した。書評のため持ち歩いていた斉藤愼爾『周五郎伝』(白水社 2013.6.10)に関連した話で盛り上がった。2晩続きで銀座のBOOKで飲み納め。550頁を超えるこの評伝についてはいずれゆっくり書いてみたい。
8/21 飛行機は夕刻である。『周五郎伝』をホテルのベッドで、空港のベンチで、機内で読みふけった。残すところ20頁あまり、およそ1000枚は読んだことになる。一人の作家の作品(制作過程)と実生活を綿密に「対照」し、ユニークな作家論を書いた評伝に猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』(小学館 2000)がある。斉藤の周五郎論は、猪瀬とはまったく異なる「評価」軸(と膨大な山周論の参照)によって山周の「詩と真実」を抉り出してゆく。帰宅してあらためて注文した山周の全集未収録の作品「山本周五郎探偵小説全集」(全6巻+別巻)が届いていた。すぐ「シャーロック・ホームズ」を読んだ。斉藤の評伝にはこの少年少女(向け)作品は登場しない。残念だ。
山本周五郎は64歳でぼろぼろになり、取り組んだ「ながい坂」(未完・遺稿)で苦悶し、ペンが進まず、食欲もなくなり、水割りのウイスキーを嘗めるようにして気を奮い立たせ、寒い便所で倒れ、まもなく死んだ。周五郎ほどに小説を書くことに邁進し、家庭も友人も周りの関連者も含めて、小説の肥やしにするために「道具化」した作家はいないのではないだろうか。太宰などは比較にならない。個人史にかぎっていえば、「目的は手段を聖化する」そのままを生きたレーニンも真っ青であったといっていいだろう。戦後、ホームズに対するワトソンのように周五郎に付き従った木村久邇典でさえ、最晩年に「破門」されている。家庭の臭いをいっさい仕事場に持ちこまなかった超エゴイストであった。だからこそ『小説日本婦道記』や『樅ノ木は残った』『青べか物語』というような日本文学史上類を見ない傑作が生まれた、ということにはならないが、周五郎にはそういわせずにはおかない気持ちを押しとどめることは、斉藤の評伝を読むと抑えることができない。
拙新刊『時代小説で読む! 北海道の幕末・維新』(亜璃西社)が縁で、富樫倫太郎さんと「四季対談」(北海道新聞)が決まった。9月、また上京することになる。