読書日々 1136

◆230331 読書日々 1136  「キネマの神様」
 暖かい。一言で済む。
 1 朝起きて(あるいは寝る前に)TV番組を登録することを、ここ数年の「習慣」にしている。
 このところ(コロナ禍が退潮・停滞し)、クラッシック演奏番組が減じ、パソコンで読み書きするときバックグランドとして流す(聴く)チャンスが減じているのに、イライラ状態だった。
 ところが、昨30日、登録番組に「キネマの神様」(BS103 13:00~)が入っている。映画題名に既聴感がある。だがなぜかピンとこない。どうして登録して(しまって)いるのか……?
 昨日、いちおう午前中のノルマを終え(わたしが、思考者・物書きとして「自立」したと思えた『書物の戦場』(三一書房 1989)の(自前)第2版(校正)の「峠」を越したときにあたる。何か、ほっとしたというか、当時の緊張感が甦ってきたとき、番組編成期に当るということもあって、これぞという登録したい番組が少なかったこともあってか、題名に惹かれ、何の気なしに登録したようだ。
 開いてみて、松竹映画100周年記念映画として制作された山田洋次監督作品と知って、「ピン(?)」ときた。ああ、日本アカデミー受賞式で、沢田研二等々が、「受賞」者に名を連ねていた、ということを思い出した。たしかに、受賞式番組は登録し、ちらっと見たが、肝心のショーケンが登場しないというので、ほとんど記憶に残っていない。(ま、通して見ても、この授賞式の「記憶」はポツンポツンというのが、ただいまのわたしの現状だが。)
 2 「面白かった」といったら嘘半分になるが、沢田研二とその孫の取り合わせは、絶妙というより、むしろ「平凡」(ありきたり)で面白かった。沢田というと、まず(眼の細い? 妻の)田中裕子を思い出す。「天城越え」は鮮烈だった。そうそう、向田邦子のシリーズによくよく出て、好演した。あの無粋な(役柄の)田中隆三の姉だ。
 沢田の役に違和感はなかった。もうこれ以上美麗な男はいないという自信に満ちた、タイガーズ時代の「ジュリー」の跡形なし、酒とバクチに明け暮れる、「妻」依存症の、もうこれ以下のダメジジイはいないという役も「そつなく」演じていた。ま、「相棒」で官房長官役を演じた岸部一徳とまではいかなかったが、その兄のシローと一徳の「中間」にぶら下がる「怪優」程度の存在だといったら、誉めすぎになるだろうか。
 それにもまして微笑ましかったのは、撮影所での小津安二郎式のカット割りや(一部黒沢式の)演技(非)指導の場面だった。巨匠の向こうを張ろうとして、助監督を棒に振る円山郷直(菅田将暉)のなれの果てが、沢田研二という仕立ては、この駄作の最上のプレゼントではないだろうか。「老優、沢田研二、ガンバレ!」なんて、自分を励ましていたりなんかして。ま、お許しください、いま、小津さんの映画、累々たる亡骸(!?)を見直している途中なんで。
 3 拙著『書物の戦場』(1989)は、わたしが思想家として、文筆家として「自立」したと自覚した時期の、書評・コラム集である。残念ながら書物本体は1版1刷で終わったが、内容は、新聞・雑誌・書評紙誌等の注文に応じた、中心は文字どおり(ホッブズの意を受けて)「書物」を通じで「世界」に窓を開こうという態のものを、ということだった。
 改めて読み直して(私設助手が「活字」をワープロでデジタル化してくれたものの校正を兼ねた、これがしんどい!)、意気に感じるところがある。このころ、『北方文芸』の編集・執筆に、『クリティーク』(季刊 青弓社)の中心になり、等々、「月刊鷲田」と「蔑称」されたていた時期に当る。
 85年に父が亡くなり、母と4人姉妹の「同意」の下に、遺産の処理法を決め、小さな「マンション」を建て、母と4女(末妹)家族の住居を定め、私の家族(5人)は、長沼の馬追に「移住」=居を定めた。3人の子たちは、完璧な過疎地生活に違和感以上のものを感じなかったに違いない。なにせ、遙か下にハイジ牧場が見えるだけで、周囲に住民がいないのである。……でもわたしのそれまでにもました大車輪の時代が動き出した、と感じれた。大袈裟でも何でもなく、読み・分析し・書き・(締め切り前に)送るマナーの、動力は種々あったが、「運転手」はわたし一人でであった。時代はバブル時代である。50代は指呼の間にあった。