読書日々 1137

◆230407 読書日々 1137 新日本紀行・十津川村
 四月に入っても、気候温順が続く。気がつかないうちに桜が咲き、見る間もなく、散ってしまったりなんかして……。といっても、妻の住む居間の前庭にでんと腰を下ろしている、わが家唯一とでもいうべき、母が残した老梅樹の花はまだ開いていないんだっけ(?!)。ま、どんどん季節感は鈍になるね。
 1 いま手許に「キハラ」のメモ紙(10×5cm)がある。
 「延岡 11.4万人(2023.1)、日向市6万、内川町1.7万」とあり、端に長沼町10161と記されている。なんの数字か? 名門(宗兄弟がいた)旭化成陸上部がある「延岡マラソン」の沿線都市の人口で、「長沼」は、わたしが30年余住んでいた町の現人口数である。マラソン当日、観戦しつつ、沿線の人口等の現勢を、地図を開き、あるいはPC等で、調べてしまう。これ、少年期以来のクセだが、メモしたのに、残念ながら、メモした事実もすぐ忘れてしまう。もっとも「現勢」もあっというまに変わるが。
 日本の自治体のほとんどは過疎化の道を歩んでいる。長沼も例外ではなく、この40年間、人口1万の大台を割ると色めき立っていたが、水田農家の数が激減しているのに、いまだ1万で踏ん張っている。といっても、札幌市もわたしの住む厚別区も、人口下降期に入っている。何、チャイナだって、人口下降期に入っているのだ。インドに総人口で抜かれた。
 じゃあ、インドは世界最大人口国になったことを、諸手を挙げて喜んでいるのかというと、そんなわけではない。人類史で「人口問題」といえば、マルサスの人口問題でもおなじみのように、「食糧問題」で、ついで人口減=性欲「削減」方法いかんで、ともに人口過剰をどう防ぐか、であった。
 2 聖地巡礼で、中東・エジプト~ヨーロッパの東から西まで6~7度辿ったことがある。ヤコブの道も、ヨハネの道も、キリストが逃げた道も、辿った。ほんの一部(極少部)にすぎないが実際にも歩いた。そのどこも、特に仏や西班牙は、過疎地というか、道はあるし家も並んでいるが、犬の泣き声が聞えるだけで、人に出会うことはなかった。何か、廃墟にいるに等しい感情に誘われた。
 ま、聖地巡礼である。エルサレムの商店(ユダヤ人地区)街の混雑振りは、かつての大阪地下鉄ホームの混乱に引けを取らなかった。そこを決死の覚悟で汗だくになりながら、突ききるのである。しかし、長大な「巡礼の道」は、残存するものの、その通路となる町々の多くは、人の実生活空間ではない、人口過小地帯・過疎の中にある。もちろん、日本でも例外ではなく、一部「観光」地を除いて、「巡礼」道は人に出会わない道になっている。
 そうそう、五島列島を「巡礼」したときもそうだった。ただし、空海が遣唐使船で旅立った「港」とか、坂本龍馬の「船」(レンタル)が難破し流された「港」とかを「実見」(?)する余禄に与ることもあったが。
 大局的に観れば、地球人は、ようやくのこと人口問題の「解決」の道を歩み出したと言っていい時期にいるのではないだろうか。それを「過疎化」で括るのは、浅薄であり、かつ早計だ。なんと言っても、人生80~100超の時代になったのだ。
 3 昨日ひさしぶりに、「新日本紀行」(NHKBS2)で、十津川村(東京都や琵琶湖より広い)を観た。半分以上は、旧番組のコピーも入っていたが、そこが懐かしくかつ面白かった。十津川は尊皇の村であったが、水害の村でもあり、明治期、「村」が生き残るために、分村し、北海道の新十津川開拓に奔命した歴史がある。
 わたしが30年余住んだ長沼町は、野呂栄太郎(戦前最後の日本共産党中央委員長)を生んだ村だが、同じように西田信春(1903~1933 官権に虐殺されたとき、共産党九州地区委員長)を生み出した。東大(文)時代は、ボート部の選手で、強健な身体の持ち主であった。その父は、新・旧十津川村の村長として、開拓団を牽引した。尊皇者のなかから反天皇主義者の息子を産む結果となったのだ。記憶に留めておいていい事蹟である。