読書日々 1138

◆230414 読書日々 1138 五代友厚の汚点「解消」?
 湿度が高くなったことは、大歓迎。それで例年、4、5月が待ち遠しいが、今年もまさにそんな季節になった。ま、黄砂といういらないものまで吹き込んでは来るけれど。
 年を重ねるごと、鼻も、眼も、そしてお腹も風邪気質が進行する。しかもアレルギー性の乾燥肌のゆえ、この季節はいっそう心地いい。海外に何度か足を運んだが、その都度、特にヨーロッパの乾燥には参った。寒暖にかかわらず、カラカラ天気が続くと、目も鼻も、口といわず脳内までも痒くなる。まるで悪い病気にでも罹ったように、湿疹が出てくる。三大聖地といわれる、ローマも、エルサレムも、サンチャゴ・デ・コンポステラも、寒気でしかも低温の時は、本当にめげてしまう。サンチャゴでいただいた湿疹に、20数年経った今も、ときに悩まされる。
 1 朝刊を開いて、一番最初に見るのは一面だが、メガネをとってていねいに一瞥するのは、死亡欄である。
 昨日、そこに中村美彦さんの名を見つけた。わたしと同じ年で、TVやラジオで、長いあいだコメンテータや司会を務めていたが、多少、わたしとも因縁があった。当時、わたしは『北方文芸』の編集をしていたときで、1980年代末のことではなかったろうか。
 電話で、中村さんが「もって」(?)いたHBCのラジオ番組に登場願いないか、という話しが本人からきた。ただし出演料はない。現物支給が多少ある。内容は、映画の試写を毎週観て、その感想を中村さんとのやりとり(トークを電話)で交わす、というものだった。映画は、洋画で、毎週一本、午前9時に、(旧)日劇(劇場)で一人で観るというレアなものだったが、一生涯、経験しようもないものだった。当時の手帳が残っているから、調べれば、実際に観た映画の題名や「残像」くらいは思い出すかもしれない。
 報酬は、約束通りのもので、ときに「野菜」というのもあったが、そのほとんどはおそらくスポンサーからのもので、多くは飲屋においてきたのではなかったろうか。中村さんは「文章」も書いた。「政治」も論じたが、膝を交えて話したことはない。つい最近までTV番組を担当していたようだった。
 2 というように、死亡欄は、全道くまなく(?)見通すようにしている。ま、多少、親戚も散らばっているし、あれこれ書いてきた関係もあって、「点鬼簿」は軽視できない。
 近代日本のNO.1の哲学者は、三宅雪嶺(1860=万延元年~1945=敗戦)で、雪嶺の代表作『宇宙』(1909)と『同時代史』(岩波書店 全5巻)は、日本現代哲学の端緒にしてすでに最高峰の位置を占めていた。司馬遼太郎がその歴史観を範としただけではなく、わたしもこの人の「哲学と生涯」を書くことに奔命してきたといっていい。2021年、『三宅雪嶺 異例の哲学』(言視舎 457頁)を出すことが出来た。
 雪嶺はずいぶん長く生きて、最後まで書くことをやめなかったが、「敗戦」によって、「終わり悪ければすべて悪し」という典型的な運命を辿った。ものを書く人間の「末路」の範型を辿ったともいえるが、ま、この個人運命経路にはほとんど例外はない。「誤りたくなければ書かないことに越したことはない。」というのも哲理なのだ。誰であれ、「書くことは誤ることと見つけたり」を免れることは出来ない。ただしこれを、悲観・悲劇論としていうのではない。全く逆だ。
 3 朝日新聞(朝刊)を講読している。4/12に「五代友厚 官有物払下げ「無関係」 教科書修正」と見出しにある。
 ただし、「最新研究」の成果によって、「教科書修正」が勝ち取られたかのような表現には、「新聞」(ニューズ)だから仕方ないのかもしれないが、五代友厚研究の最高峰、宮本又次『五代友厚伝』(有斐閣 1981)を無視するような「新研究」では困る。
 五代という男は、一筋縄ではいかない。いや、五代にかぎらず、福沢諭吉でも、三宅雪嶺だとて、一筋も二筋もあってしかるべきである。だいたい「教科書」に出てくるものは、疑って当然なのだ。それが「評価」というもので、「ニューズ」という性格をつねに持っている。わたしの「義父」で、中学時代の地理の先生だった加藤賢治先生は、「教科書」を無視して授業をされた。わたしが「地理」が好きになり、高校で地理の授業を受けずに、大学入試で「地理」を選択する仕儀になった。(それで2浪したわけではない。)もちろん、歴史や地理だけではない。算数だって、答え(方)が複数あって当然なのだ。(なお、払下げ問題は、次回で。わたしの研究テーマの一つでもある。)