◆131108 読書日々 645
「下級武士から成り上がった」諭吉をわたしは好ましく思う
11/7に「日本人の哲学3」の『政治の哲学』(250枚)を書き上げた。結局「日本権力史」のような趣になった。
哲学は発見・認識・表現なのだから、文学は「表現」、政治は「権力」、経済は「資本」、歴史は発見・認識・表現=哲学ということなのだ。いよいよ「資本」に取りかかるが、マルクスの資本の論は、「産業」(Industry)の資本にすぎない。前期資本に対し、中期資本で、1970年代に本格離陸しだす後期資本には届いていない。日本資本の論=『経済の哲学』は150枚くらいで書く予定だが、どうなるか。吉本を再論し、デフレ論=長谷川、成長・統制・第三期没落論の高橋亀吉、そして農業の横井、江戸では二宮、経済録の太宰、農学全書というところが代表選手か。
それに続く『歴史の哲学』は「日本書紀」以前、すなわち歴史「以前」をも書かなくてはならないだろう。これはちょっとおもしろくなりそう。以上は3冊目で、「自然」「技術」「人生」「雑学」を4冊目に、そして最後の10は、『哲学の哲学』いうところの「学校」の哲学を書こうと思う。通則的な意味では「日本哲学史」である。哲学研究者の「阿呆の画廊」だ。ここまで書いたらおよそ寿命が尽きる勘定になる。なんてね。それでも全10巻=5冊、1冊700~800枚検討で、3500~4000枚になる。厚い、重い。傍迷惑なことはたしかだね。
礫川全次(こいしかわぜんじ)さんの『知られざる福沢諭吉』(平凡社新書 2006)はなまじの諭吉論よりためになり、おもしろい。
諭吉が毀誉褒貶の多い人であったことは、その著書を読むだけでもよくわかる。思想的には勝海舟に近いのに、咸臨丸乗船のとき、ボタンの掛け違いのようなであいをして、諭吉は木村喜毅(軍艦奉行)・小栗忠順(勘定奉行)のラインに属し、海舟とそりが合わない。
礫川さんの本は「下級武士から成り上がった男」という副題をもつ。これはまったくの事実で、福沢をおとしめることにはならない。「拝金主義」と福沢を批判するが、漱石だって、朝日新聞に入社するとき、新聞屋が商売ならば大学も商売である、と啖呵を切っている。もちろん「時によりけり」で、かんしゃく持ちの漱石は「寸志」と書かれた謝礼袋を突っ返す理由が振るっている。わたしはものもらいじゃない。俸給はちゃんともらっている。謝礼目当てで講演なんぞしているのではない。諭吉はこんな屁理屈なんぞいわないで、当然の謝礼はもらうだろう。漱石は小説を書いたが、「売文」で生計を立てたわけではない。朝日から顧問料(大金)をもらっている。もし漱石が、諭吉のように「売文」で生計を立て、書生を養い、義塾を維持しなければならないのなら、講演料をもらうのを当然としただろう。講演料をあてにした三宅雪嶺を揶揄するようなことはできなかっただろう。
礫川さんの本は諭吉フアン(わたしもその一人)にとってはあまり気持ちのいいものじゃないものも含まれている。しかし、諭吉の「学者商売」然としたところをわたしは好んでいる。漱石は「学者商売」はできなかったが、自分を売り込むことにかけては商売人に負けてはいない。鴎外なんてその極に思える。
わたしは諭吉を猛然と批判する本を好んでというわけではないが読む。そこから学ぶものも多い。ただし、批判者にマイナスと見えるものの多くが、わたしには諭吉のなかなかの長所と思える。そういう本の読み方をわたしはかなり大事にしている。