読書日々 647

◆131122 読書日々 647
芦田宏直『努力する人間になってはいけない』。編集者の皆さん、この人「旬」ですよ
 11/20 ホテルで目覚めてTVのスイッチを入れたところ、後半40分近く、ベルギーに勝っているではないか。といってもロスタイムを含めて最大10分程度残っている。相手は世界ランク5位である。前戦でドイツ(8位)を最後まで追い詰め引き分けた日本代表は、戦闘意欲が旺盛だ。相手にシュートを打たせない。繰り返しフォワードの3選手、柿谷、本田、岡崎が絶妙なアシストを受けて一発で決めたシュートは、3発が3発とも防御不能と思えるようなゴールを放映する。日本はロスタイム4分を守り切ってヨーロッパ遠征を締めくくった。ザッケローニ監督非難がすっとやんだ。
 メキシコオリンピックで、杉山や釜本の活躍で3位になったときの映像をちらっと思い出したが、往時と比べ日本のサッカーは華麗になった。来年のワールドカップが絶体絶命のフランスは逆転で出場権を獲得した。それにしても欧州のどの国もエースストライカーの強いこと。
 等と書くとサッカーフアンと思われるかもしれないが、そんなことはない。あまりというか、ほとんど生放送さえ見ることはない。スポーツ番組で結果を見れば十分というサッカー好きにすぎない。そんなものが一言。
 メキシコの杉山や釜本は華麗ではなかったが、強靱であった。とくに杉山の走力はまさに戦闘車さながらの速さと剛さを兼ね備えていた。泥臭いが蹴ったボールを追うスピードは100メートルを10秒台前半で走りきるような強さである。
 先週書いた芦田宏直さんの新刊書『努力する人間になってはいけない』(ロゼッタストーン 13.9.2)を購入して読んだ。芦田さん(未知の人)に新聞に載ったエッセイへの感想をメールで送ったところ、この本をと自薦された。わたしなどと同じ発想法をされる方のように思えた。まず共振する。ただしこの人哲学出身でしかも技術系専門校の校長である。年齢だってわたしより一回りしか若くない。おもしろいことに芦田さんは高校のとき吉本隆明にはまったそうだ。最後に「追悼・吉本隆明」が載っている。わたしが20代の後半に吉本にはまったのとは好対照といっていいが、自己表出と指示表出の往相、還相のあり方という吉本思考を見事に解説している。
 物書きに年齢はある。この人の本を出したロゼッタストーンという出版社の慧眼に感心しきりだ。編集者はこの新しく現れた大衆的(売れる)作家に書きたいものを書かす「努力」を試みて欲しい。じゃんじゃん書かすべきだ。なお芦田さんの著書を、書名に引きずられて、「努力なし」に生きなさい、というすすめの本だと思ったら、とんだ錯覚なのだとだけお断りしよう。
 人は段階論が好きだ。子ども、大人と二分すると、なかに青年を入れたり、中年を入れる。中年と老年のあいだに熟年を入れる。「中間」それ自体には不動の指標はない。どんどん変わる。わたしが「子ども」をやめようと思ったのは、10歳前後のことだった。子どもでいることが無性に恥ずかしかった。しかし子どもが終わったと思えたのはおよし20年後のことだった。大人になろうとすることと、大人になることのあいだのこの距離は、長いが、断続の連続である。
 大人になった最初期に読んだ平凡社の「現代人の思想」というシリーズは好企画だった。その11『変貌する資本主義』(1967)は伊藤光晴の編集で、ガルブレイス、ストレイチー、スウィジー、ロストウ等の論攷を乗せている。こんな編集の本を読むのは「修正主義」だとなじられることは知っていたが、わたしは自分を修正主義者だと思っていたから、かなりまじめに読んでいた。「大人」になるためである。なったことを確認するためでもあった。「変貌する資本主義」をトレースしたから、資本主義が本格的な変貌を遂げても、驚かなかった。もう少しいえば、資本主義は「変貌」するというか、正確には、「資本」は「論」(セオリー)を超えた「自然」(本性)であるということに気がついた。ま、資本=乗り越え不能な人間の無意識である。「経済の哲学」ではわたしが大人になったと認識したとき以来の思いをうまく書けたらいいな、と思える。