10月
◆読書日々 231007 1613 田舎系・三木清
5(木曜)日、同期会(「延長」期)があった。会場は狸小路のライオンである。義父になった故加藤賢治先生とはじめてこの酒場で飲んだ。今年2度目の札幌だ。このところ居室に滞留しきり、それではならじと少しく歩いた。ために足腰が痛い。
1 少年期、村の中央から農道を伝って、頻りに隣村の境界域まで歩いた。ひとりでだ。何でそんなことをしたかわからないが、野幌、長沼、北広島、雁来、……ただし、叔父、叔母の住む豊平や恵庭は避けた。およそ10キロ、子供の足でも、村域まで往復可能だった。一度、友だちと山本部落の暗渠で魚(フナ)とりをして、一斗カゴに入りきらないほどの収穫があったものだから、時間を忘れ真っ暗になったから帰宅し、「遁走」の汚名を着せられたことがあった。いま車で、北海道は、札幌から四域の果てまで、車で往復可能だ。(これも、実験済み。ただし知床は、羅臼までだったが。)ま、70~80年前の村の広さは、現在の北海道全域と比肩できるというのが、わたしの距離感覚だ。(関西にいたとき、その全域を「気車」で往還したが、一日では終えることが出来なかった。いま、東欧諸国の多くは、例外なく「紛争」のただ中にあるが、西欧諸国と違わず、その「国」域の狭さに驚くばかりだ。旧社会主義国、チャイナとロシアの「負」の遺産であると断じたくなるが、「民族」の類別の困難さは、日本人には到底分りそうにもない、というのはどうだろうか? 信長が、長宗我部に四国切り取り自由の「許可」を与えたが、四国はまさに4カ国である。少しく、坂本竜馬を書いたとき、4国のことは調べたが、そして、体感できたと思ったが、当の4国人にとっては、「薄っぺら」なものだったにちがいない。でも「薄く」なることが出来るということも、「日本人」の特技ではなかろうか。そう思える。
2 田舎系・三木清 (中外新聞連載)
●時代の変転に棹差をす
第二次世界大戦後、哲学の価値がどんどん下落してきた。正確には哲学者の居場所がはっきりしなくなった。哲学者を名乗るものはいるが、個人的意味しかもたなくなった。戦前は逆で、哲学者の社会的位置が異常に高かった。京都学派といえば、西田幾多郎を総帥とする哲学集団を意味した。その中でももっとも絢爛豪華というか、あれもありこれもある、という生き方をしたのが三木清(1897-1945)である。
三木はつねに「田舎者」を任じていた。事実、兵庫県は揖保(いぼ)郡揖西村、現在の竜野市に生まれた。しかし、三木は自意識の塊というような人間であった。その三木が「田舎者」と自己卑下する表現は、矜持なのである。実際、三木は、すべてにおいて、一番、中心、最先端であらねばすまない、という気質を顕わにして生きた。しかし、こういう性格で、豊かな農家の長男として生まれ、なに不自由なく育ち、しかも一頭地を抜く能力も意志ももった人間は、総じて不幸な人生行路をたどるべくして運命づけられていたのかもしれない。
竜野中学では、文学の疾風怒濤時代。一高に進んで、西田の『善の研究』を偶然読み、これこそ我が師である、として京大に進む。西田の後継者は自分であらねばならないと留学し、当時最先端の思想であった実存主義とマルクス主義を携えて帰国する。しかし、京大に三木の席は残されていなかった。ならばと、アカデミズムと訣別をはかり、雑誌『新興科学の旗のもとに』を発刊し、マルクス主義哲学の寵児を演じた。ところがそれとは知らずに共産党へ資金援助をして検挙され、刑務所に入っている間に、共産党から激しい批判を受け、マルクス主義運動から身を引く。その後、一転して、近衛文麿の「昭和研究会」に参画し「東亜共同体」論を展開する。しかし、敗戦濃厚な時期、かつてのコミュニスト仲間を「かくまい」、治安維持法違反で四五年三月逮捕、終戦後の九月二六日、獄死。
おそらく三木清ほど、自分が望むところのものを手に入れようとして、できず、すべてを未完のままに終わらせた思想家も珍しいのではないだろうか。トップランナーたろうと身を乗り出したが、つねに登場が遅すぎた孤独のランナーであった。遺稿が「親鸞」であり、西田哲学の乗り越えをはかった最後の主著『構想力の論理』も未完に終わった。
しかし、翻ってみるに、なべて「完成」などないのである。現に生きている社会の灼熱した現実問題に我が身を焦がすように生きる、可能なことはそれに尽きる。野望と挫折、高揚と虚無の繰り返しだったとはいえ、三木は己に正直に生きたのだ。三木は、「田舎者」と自分を語った。そのために、人が顔を背けるほどの嫌味なスタイルで生きた。「粋」の正反対でことに臨んだ。エリート意識丸出しで人に接しもし、ものを書いた。林達夫は、万感の哀惜を込めて、三木の唯一の独創は、ペン書の風変わりな書体であった、と追悼した。こういう小三木に、関西で何度か会った。鏡を見るに、自分も極小三木であった。