読書日々 687

◆140829 読書日々 687
注文が来ると、寿命を延ばさなくてはと思ってしまう
 何とも快適な日が続きます。北海道は秋です。天は高く、朝と夕は冷涼といっていいでしょう。気がおのずと引き締まります。
 8/26 「寒がりやの竜馬」(本分250枚)を書き上げ、気分転換のために(あれこれ理由に転換をはかりますが)、街に出ました。「たぱす」はあいかわらず千客万来の感がします。わいわいやりながら出て、ひさしぶりに「木曽路」によりましたが、予約で満員でした。「ふじ川」に向かいましたが、客はいず、一杯飲んで、借金を払うだけででました。「音音」はもう閉まったかなと思って向かうと、「店名」はありましたが、場所も中味も違います。となりの店で一杯引っかけ、ひさしぶりに「古今亭」にいきました。いつものように客はいません。篠さんと奥さんと三人で呑みますが、盛り上がらないこと甚だしいといっていいでしょう。「きらく」にゆき、9時半頃迎えの車で帰りました。とても酔い、疲れました。少し頑張りすぎたのかな。
 8/28 原稿の最終的直しをやっていると、携帯が鳴ります。原稿の直しは、ワープロ原稿の場合、意外と楽しいものです。引用文の点検にもなります。電話は、海流社の社長からで、珍しや、書き下ろしの注文です。こういうことがあるから、物書きはなかなか仕事を辞められず、そして死ねないのですね。
 あれこれ話しているうちに、ヒルティ『幸福論』をベースに書くということになりました。また楽しみが増えました。諭吉の事件簿の第3巻、雪嶺の評伝、日本人の哲学4・5という大部の積み残しもありますが、新作注文は生きているかいがあるというか、生きる力を与えてくれます。
 8/29 竜馬の直しを続けています。最終章の直前まで来ました。この本では、来道し、生まれた竜馬の血脈を少し詳しく書きました。坂本直寛の息子の直道は、東大法学部を出て、満鉄に入り、参事にまでなりますが、戦後、日本政治経済の事情通として知られ、『中ソ国境紛争の背景』(鹿島研究所出版会 1970)という本を出しています。中ソ対立の歴史的経緯を踏まえた、イデオロギー的裁断とは無縁の、クールな分析をもととする政治経済評論です。日本は中ソ対立、とりわけ長い国境線を挟んだ軍事対立と緊張があったからこそ、この共産軍事二大国の侵略をうけなかったということができます。もちろん、中ソの日本侵略を防いだのは、アメリカの日本占領と日米安全保障条約があってのことでしたが。1970年というと、チャイナの「文化大革命」が完全に曲がり角に達し、紅衛兵は弊履の如く捨て去られた時期に当たります。
 直道は、父直寛に「勘当」されます。直寛の養子に入った彌太郎(直道の義兄)の長男彌直(ひろなお)も直行も、親に「勘当」されます。戦前「勘当」とは戸籍を抜かれることを意味しました。実際、直道も、彌直も、籍を抜かれ、結婚のとき別戸籍(分家)を立てています。直道はどう呼ばれたか分かりませんが、彌直=「やちょく」、直行=「ちょっこう」と友人他に呼ばれたそうです。わたしたちも「ちょっこうさん」と呼んでいます。
 坂本本家を継いだ直寬は、ジャーナリスト志望で、多くの書き物を残しています。でも、思い込みが激しすぎます。自分(の信念)を貴しとする独善家だといえます。対して、直道や直行は、クールですが膨らみのある、美意識を十分感じることの出来る書き方をします。直行さんの息子、登や嵩も素直で意の通る文を書きます。
 直道は、中学を中退し、家出同然で弟の養子先に転がり込み、中学を弟と同じ年に卒業し、岡山六高から東大法学部に進みます。彌直は、北大農学部を出て満州国の官吏になり、、親を喜ばしますが、白系ロシアの女性と結婚して、親から勘当になります。彌直は敗戦時、銃殺されます。犯行はおそらくソ連軍だったと思われています。同じ滿洲にいた直道と彌直に交流があったそうです。
 直行は、家族に竜馬(直柔・なおなり)のことをけっして話さなかったそうです。息子の名も、「直」を引き継いでいません。なかなかでしょう。