◆140822 読書日々 686
竜馬の気風は女たちの血を通って直行さんに繋がっている
1 いつものことながら、北海道はお盆を過ぎると一気に涼しくなる。仕事がはかどるのはいいが、もう若くない。スピードが上がらない。といっても嘆いているのではない。ゆっくりでも時間だけはたっぷりある。匍匐でも前進する。
高知は佐川の神畠さんからメールが入った。どうやら虎口を脱したようだ。いま「寒がりやの竜馬」の最終章を書いているが、09年の5月、竜馬ゆかりの下関と高知を訪ねた。長崎はなんども訪ねていた。一日神畠さんとレンタカーを駆って、竜馬がたどった路を走った。一度赤信号をすり抜けようとして気づき、急ブレーキを踏んだことを思い起こした。ずいぶん昔のように思えるが、5年前のことにすぎない。退職後、時間は走馬燈のように過ぎるようで、意外と遅いということを実感している。ただ忘れっぽくなっているにすぎないのだろう。
2 坂本嵩『開拓一家と動物たち』(朝文社 1996)をぱらぱらと読んだ。「北の大地に素手で立ち向かった開拓家族の生活誌」という副題で、作者は坂本直行さんの二男で、雪印の宣伝部でコピーライターをやっていた1938年生まれの人だ。直行さんは、坂本竜馬の兄の家に(孫)娘婿として入り、家を継いだ直寬の娘婿、坂本彌太郎の三男で、十勝の広尾に開拓農民として入り、のちに山岳画家として一家をなした、北海道では有名人の一人である。
わたしの女房の父も、戦後野幌原始林に無断入植した一人で、開拓だけではとうてい食ってゆけなかったので、信濃中学の教師になった変わり種である。ただし女房は、開拓時代のことを自分から語ることはない。いい思い出はない、ともいうが、三重県の伊賀上野の南端、長沼の馬追と、足し算するとほぼ40年間過疎地に住んできた。車がないと買い物がままならない地域だ。
直行さんの子どもたちはみな家を離れ、直行さんも開拓農家をやめたが、『はるかなるヒマラヤ』(2011)や『開墾の記』(1942)『続開墾の記』(1994)をぽつりぽつり開いて行くと、開拓農家を続けることと「反骨」の気風が衰えてくることとの「矛盾」悩まされ、農を捨てるという結果になったのではと思われる。
北海道開拓農家の典型コースは、開墾に入ったが10年間のモラトリアムが過ぎると借入金が払えず、銀行管理になったり地主に吸収されたりで、小作に転じ、戦後の農地解放で自作農になるというのが多い。ただし、過半は開拓を途中で放棄して姿を消し、あるいは開墾を続けたが10年経って借入金が払えず、開墾地を手放したところで農家を辞める、というのがほとんどだった。
現在農業をやっている人で、開墾から三代とか四代というのは稀少で、坂本直行さんも、農業は一家総出でやったが、一代で終わっている。ちなみにわたしの家は、曽祖父が開拓に入り、祖父の代で商業に転じ、農地を小作に貸し、戦後、土地を失い、雑貨商に零落し、父の代で廃業に至った。これもまた一つの典型コースだろう。
それにしても嵩さんの本は、貧乏くさくなくおおらかで、具体的かつおいしい本に仕上がっている。この人「男の料理家」でもあるそうな。
3 竜馬のおおらかさは、竜馬の兄や、甥の坂本直や直寬と際だった違いを見せているように思える。血脈からいうと、竜馬の血は母幸、権平妻千野、千野の娘で姪春猪、春猪の娘鶴井、鶴井(彌太郎の妻)から子直行に繋がっているのではないだろうか。幸(→竜馬)→千野→春猪→鶴井→直行という血脈である。どうやら直行の妻で嵩の母ツルも「おおらか」派伝承の一人のように思える。