◆141128 読書日々 700
ドイツ語を供養した賞と罰
1 拙著『「やりたいこと」がわからない人たちへ』(PHP文庫 2001)の韓国版(2012.7.11)が1年半遅れて送られてきた。「手違い」との名刺大の紙切れが入っていただけだ。韓国での出版を原著者のわたしも忘れていたのだから、うかつなことではある。これでコリア・チャイナ版が13~14冊になる(?)。おそらくもう1冊、遅配になって届いていない外国訳書があるのではないだろうか。ちなみに『「やりたい」……』PHP版は13万部刷られた。本のバブルがつぶれたあとの出版だったのに、わたしの文庫・新書版でもっとも売れた本になった。
韓国でも台湾でも翻訳されるのはまことにありがたいことだが、いくら刷られたのかの実数はとんとわからない。印税も初刷り分だけで、終わりである。10万を超えたためしはない。
2 服部之総は、明治維新史を含め、左翼歴史家のなかではまだまだましだと思ってきた。しかし『原敬百歳』(中公文庫 1981)を読むかぎり、その歴史観はマルクス・レーニン主義を「半歩」も出ることはなかった、と思える。この本はいわゆる歴史エッセイの類だ。その中の「旧刊案内」だけ(?)は興味深い。景教碑文研究で知られる佐伯好郎博士のThe Nestorian Documents(文書) and Relics(遺物) in China 1950は、チャイナにもたらされた景教ネストリウス派はユダヤ人であり、「大秦」(ローマ帝国)=ユダヤ人論を展開した。これが「原作」になって、キリスト(ユダヤ人)日本来往記が数多く書かれた、とある。
キリスト教伝来はザビエルだとされる。しかし遙かさきにチャイナに「景教」として伝わり、大秦寺(ローマ寺)が存在したのだから、もちろんそれが日本に伝わった。これが後年、キリスト青森、モーゼ石川、ヨゼフ神奈川にやってきた、墓もあるという妄説の根拠になった。
だが重要なのは、日本がシルクロードの終点で、青銅も鉄も、パンも葡萄酒も、もちろんキリスト教も、チャイナや朝鮮半島経由で伝わった、ということだ。大航海時代に、鉄砲やキリスト教が伝わったのは事実だとしても、それが伝来の最初ではない。これがまともな歴史センスである。
3 11/25 ひさしぶりに井上美香さんと会った。「煌」までたどり着いたが、日吉君があとから来ていたらしい。よくは憶えていない(?)。
先日プリンス会館を焼け出された「小太郎」(作家の東直己さんの妹経営の居酒屋)がススキノ会館に店を張った(という葉書が来た)。そこまで足を向けようとしたものの、いつものように、途中で足が止まる。36号線を越せないのだ。店の焼けた日、ちょうどすすきのに出ていて、誰かとタクシーで現場まで行ったが、降りずに、すぐ近くの「高屋敷」まで行った。ひさしぶりに唱ったのではなかったろうか。
4 関口存男(つぎお)『趣味のドイツ語』(三修社 1951)は、三重短大時代に読んだ。当時はそのドイツ語をはじめとする語学修得方法に驚かされたが、学問でも技術でも万般を習得するのに通用する方法だ。ドイツ語は独学で、最初に独訳『罪と罰』を買い、ひたすら辞書を引いて読んで読んで、五里霧中、一年半で霧が晴れるようにわかるようになった、とある。これが「正攻法」なのだろうが、普通はまったく初手で難解な本にひたすらかじりついて、かみ砕くなんて芸当はできないだろう。
わたしのドイツ語は、長年ドイツ語講師で食ったのに、惨憺たるものだった。原因はわかっている。関口さんのようにかじりつくことがなかったからだ。ただしここも肝心なのだが、原書を読んでじっくりその本だけを研究し、世界水準に肉薄する研究成果を原語で書く、という方向に進まなかった「けがの功名」はある。このことは、わたしが大学の研究室に残ることができなかったこととも裏腹である。
20代後半、つぎつぎにまわりの哲学科の院生が、大学に職を得た。わたしだけが一人残された感があった。悔しかったが、仕方もなかった。研究職に身を置くことを半ばあきらめながらも、一冊くらいは研究書を残そうと思え、日本語で一冊書いたのだ。33歳の時にそれが出た。まわりから完全に無視されたが、売れ行きはよかった。ドイツ語は後に置き去りになった。就職できた三重短期大学の貧弱な図書館に、関口さんの畢生の大冊『冠詞』三巻があった。膝に乗らないくらいに重かった。ドイツ語を供養する気持ちで読み切った。すごい本だという以外何も残っていないが。わたしの勉強法の一端でもある。