読書日々 1177 「文明の生態史観」

◆241228 読書日々 1177 「文明の生態史観」
 突然、ブーブー、と大音響(?)が机の下で響いた。一昨日のことだ。バッテリーが「不調」(?)を知らせるブザーで、この音を聞くと、ぞっとする。机の下に潜り込み、必死にボタンを押して、音だけは止めることができたが、パソコンが使えなくなった。アンテナの不調であるらしい。
 もうそれだけで(もうとっくに期限切れの)頭の回線が「混乱」し、『読書日々』は「遅延」。ま、これは仕方ない。私の「知の機械」が不全なことに因があるからだ。
 といっても「耄碌」を責めてもしようがない。今朝、机下にもう一度潜り込んで、バッテリーをあれこれ「点検」(?)。……偶然だろう、「ON」になった。これで、BSを観ることもできる。
 空いた時間、昨日は、中公の「日本の歴史」シリーズ8、黒田俊雄『蒙古襲来』をめくっていたが、活字が小さい。それに、かなりというか、記述が、マルコ・ポーロの旅行記をはじめ、大振りだ。なによりも、梅棹忠夫の「文明の生態史観」をまったく無視し、ユーラシア大陸の東端から西端までを席巻した「モンゴル帝国」の位置づけ、したがって日本「文明」の記述は、太線の落ちたものになった。つまりは、「元寇」の「世界史」的位置づけが希薄になる。
 黒田さんは、当時、大阪大学文学部、史学科の助教授で、この本がベストセラーとなり、コンクリートの書庫を建てたという「伝説」があった。一見して、態度がでかく、デリカシーに欠けていた。それでも、この本、面白かった。影響を受けた。
 鎌倉時代を活写しよう。鎌倉時代が、「近代」のとば口である、したがって、封建社会とは「近代」と「地続き」なのだ、つまり、梅棹が断じた、「封建制」を「通過」しない国、地域は、「近代」に到達困難・ないしは・不能だということになる。「形」は近代化されても、内実は前近代の政治形態にとどまらざるを得ない。ロシアもチャイナも、アフリカや南米の古代文明が花を開いたところも、例外ではない、ということになる。「文明の生態史観」の要のところだ。……
 よいお年を。娘・孫たちがやってくる。清しこの夜、でありたいね。