日本人の哲学5 大学の哲学/雑知の哲学(言視舎)

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哲学とは「雑知愛」のことである!
哲学のすみか(ホームグラウンド)としての「雑知」を探索し
日本近代の「大学哲学」=純哲の「初めての通史」を提示する

1 大学の哲学=純知の哲学の論究対象(材料)は、あるがままにそこにある。遺漏はいたしかたないが、「山」ははっきりしている。取りたてての発見を必要としない。対して雑知の哲学は、未開・未墾・未踏の分野に満ちている。困難は、大学の哲学に比べて、はかりしれない。こうと思えたのだ。
 たとえば、実際、「雑知」の哲学で、呉智英は登場願おうと思っていたが、養老孟司を扱わなければならなくなるなぞは、想像だにしていなかった。伊藤痴遊を再発見できたことは幸運だったが、痴遊を読んで、伊藤博文、星亨、原敬を点だけでなく、線で結ぶことが可能になった。ただし三人とも「暗殺」された。これに大久保利通を加えると、近代日本をリードしたビッグ・フォーを、凶刃・凶弾で失ったのだ。第一次大戦「戦勝後」、日本は、ようやく「平和と民主主義」、端的には、軍縮と議会制民主主義の道を開きはじめたのに、それを先導する強靱な「頭」を失ってしまったのだった。星や原を失ったことは、どんなに悔やんでも悔やみ足りない。

2 「大学の哲学」も「雑知の哲学」も、その大部分は、わたしが哲学徒として歩んできた「勉強」(work)の「おさらい」という側面を含んでいる。「9大学の哲学」では、むしろ意識的に、わたし自身の経験を織り込むように、書くようにした。
 大学哲学くらい、「閥」を好むところはない。プラトン・スクールであり、孔子塾である。わたしは閥〔スクール〕に属したことはないが、かなりの数の大学哲学教授の声に励まされてきた。ほとんどが東大出身の研究者だった。二人だけ名前を挙げさせてもらおう。学会発表や研究論文等に道を開いてくださった、キルケゴール研究の飯島宗亨(東洋大 1920~87)、学問はもとより同学の徒を紹介してくれたマルクス学の廣松渉(東大 1933~94)である。

3 執筆順序を、4巻を飛ばして、5巻先行に変更した。こちらのほうの理由は単純だ。
 ともかくも、「最終」を見たかったのである。七五歳(2017)までに、全5巻全10部を仕上げる、という計画を立てた。順調に進んできた。もっとも力のいる3巻「3政治の哲学」「4経済の哲学」「5歴史の哲学」を、とにもかくにも書き終えることができた。残りは2巻である。5部と数だけは多いが、三年ある。余裕じゃないか。まず、目途が立ちやすい5巻からやつけよう。4巻執筆は最後に回し、存分に楽しもうじゃないか。こう思えたのだ。安易な行き方だとは思えないだろう。
 たしかに、難業の連続だったが、5巻はとにもかくにも仕上げることはできた。だが、4巻「5自然の哲学」「6技術の哲学」「7人生の哲学」は、厄介である。なによりも「雲」をつかむようなところがある。しかも「日本人」にかぎってを書くのだ。そのメイン・キャストを決めるだけでも、一仕事だ。ただし、キャスティングが腕の見せ所でもあるのだが。
 でも、未知の分野に挑むのは、やはり楽しい。それに「自然」「技術」「人生」について、わたし自身の「意見」も多少はある。「異見」ではなく「正論」の部類だ。ただし自分で「正論」だというのは、十分に嫌みだろうが。(あとがきから)

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