読書日々 483

..◆151204 読書日々 483
心は急くが、筆は進まない。でも今日も、一日を
 *先週は失礼しました。アップを忘れたのです。
 やはり12月に入り、人並みに心が急くのか、忘れものが多い。
 1 早速というか、『出版ニュース社』恒例の、「アンケート特集・今年の執筆予定」があった。16年度のである。来年のことをいうと鬼が笑うが、ま、大いに笑ってほしい。
《一五年年末から一六年に執筆・出版予定の著書は、以下の通り。
1 『シニアのための反読書論』(文芸社 250枚)
2 『死ぬ力』(仮題 講談社現代新書 250枚)
3 『評伝山本七平』(言視舎 500枚)
4 『教養が身につくキモをつかむ読書術』(仮題 青春新書 200枚)
5 『日本人の哲学4 自然/技術/人生の哲学』(言視舎 700枚)
6 『谷沢永一二巻選集』(言視舎)の2「コラム・読書/人間/歴史/政治」を編集出版(1「文学研究」は浦西和彦編で、春に刊行予定)。
 1、2は脱稿、5が刊行されれば、全5巻全10部のライフワーク(!?)が終わる。
 昨年積み残したのは、3部作の歴史ミステリー評伝『福沢諭吉の事件簿』1・2と、東京新聞連載「大波小波」(200枚)を中心とする、新聞(毎日/道新/日刊ゲンダイ)連載した平成期の全コラム『コラム平成史』だ。ま、やはり欲張りすぎた。》
 2 じゃあ、早々と、今年の「収穫」をやってしまおうか。
1 『ヒルティ 老いの幸福術』(海竜社 15/1/31)
2 『寒がりやの竜馬』(言視舎 15/5/31)
3 『日本人の哲学5 大学の哲学・雑知の哲学』(言視舎 15/10/31)
4 『シニアのための反読書論』(文芸社新書 15/12/)
 予定の4冊である。上出来だろう。それでも躓いたり、解けたりの一年だった。『理念と経営』には、幸いなことに、書評の連載を担当させてもらっている。励みになる。
 いちおう来年は区切りの年にしている。この年を乗り切ることができたら、よしとしなければならないだろう。
 3 開高健『言葉の落ち葉Ⅳ』(冨山房 1982)をぱらぱらめくっていると、第2回大宅壮一賞受賞作『日本人とユダヤ人』(山本書店 1970)の選評を見つけた。あらためて、脱帽した。
「近頃これくらい知的スリルをおぼえた作品はない。一気通貫で読めた。観察眼の鋭利、指摘の微妙、文体の一貫した明晰、文脈の背後にある心憎い気魄のリズム、恐るべき学殖、どこをとっても、いうことない。ことに平坦俗語から淡々と説き起こして筆を進め、いつのまにやら大変な高地へ連れ込んでいくあたりの呼吸は、気がついてみると、舌を巻きたくなる。
 これくらい堂々とした正統の異才を発見できないでいたとはわがマスコミも大穴だらけとさとらされる。全編集者は頭を剃らねばなりますまい。これから編集会議をするときは、終始薄氷を踏む想いがつきまとうことだろう。
 西欧の一神教がわが国に深く根を張れない現象について、探求のペンを進めた人はこれまでにたくさんあるが、もうろうとながらもそれらの人が鋭く提示し、しかしそのままで踏みとどまってしまったところを、”神学なき宗教”日本教があるためだと喝破し、その内容と規範について明晰に解剖のペンを進めたあたり、絶妙であった。また日本人の政治思想について「日暮硯」などという不思議な記述を引用してズバリとえぐった点も、虚をつかれること、けれどうなずかされること、したたかなものがあった。
 どれだけ理解されるかはさておいて、これが正確に英訳され、日本と日本人に興味を抱く外国人に広く読まれることをねがいたい。それから、日本人に対する警告は、よく銘記しておきたい。」(『文藝春秋』1971/5)
 第1回大宅壮一賞ととった石牟礼道子『苦海浄土』の開高選評を読んで、すぐ買ったのに、第2回受賞作『日本人とユダヤ人』の選評を読まなかった(正確には、おぼえていない)。結果、買わず、読まず、論じることなくきた。二重、三重の自己損失であった。読んで「解剖」していれば、わたしのぼやぼや期もずいぶん早く終えることができただろう。