読書日々 804

◆161118 読書日々 804
「若い」ということは「素寒貧」だということだ。どう突破するの? 「真似」だよ
 寒い。といっても、体が鈍感になっているのか、応えない。痺れるだけだ。冬だ、寒くて当然、老いてますます衰える、だろう。老いたといえば、天皇の「退位」について、有識者会議の委員に、渡部昇一先生がなった。先生は強健なことで知られていた。だが1930年生まれ、86歳だ。その会議の場面が、TVに映されていた。先生、白い帯のようなもので、(手を)吊っているように見えた。といっても、新聞に出た先生の意見は、「退位」の必要なし、「摂政」等で代位できる、という「皇室典範」に示されている至極当然のものだった。そんな「配慮」もしないで、内閣や宮内省というところはなにをしているのかな? しようとしているのか?
 1 また『理念と経営』で、17年1月号から書評連載が再開される。月、2冊を、5枚半で評する。17年2月号は、アニメ制作者の石井朋彦『自分を捨てる仕事術』(WAVE出版 16.8.25)と沢渡あまね『職場の問題地図』(技術評論社 16.10.25)である。
 石井さんの本は、実に面白かった。「若さ」とは何か、と、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーに問われ、た。ま、若い人には応えられないだろうね。「何もないってことだ」と鈴木に言われ、「ひたすら真似をしろ」を教えられ、「真似して真似して、その結果、残ったものがおまえだ」と断じられた。こういう先輩を持ったら、耐えがたいが、すばらしいね。この本、若い人に勧めたい。ただし、若い人だけではない、宮崎駿、鈴木敏夫、小津安次郎、黒澤明、……わたしの好きな人はみんなモノ真似が上手い。つげ義春も、白土三平も、絵もストーリーも、はじめは(後々まで)手塚治虫のモノ真似だった。じゃあ、手塚は創造者だったのか? デミウルゴスはプラトンの作品に登場する「造物主」のことだが、通常は、無からの創造ではなく、「制作者」(職人)のことだ。材料は前提されている。手塚も「材料」はすでにあるものを新しく組み合わせて作った。特別なことではない。組み合わせが上手だったのだ。黒沢や小津は、たしかに新しいものを観るものに与えたが、そのどれも「職人」のものだった。真似から始まって、真似に終わる、そういう心性を、黒沢は「独創」と呼び、小津もまた「味」(小津風)といった。わたしが『日本人の哲学』でいちばん強調しているのは、この「本歌取り」の上手い下手だ。
 2 新井白石『折りたく柴の木』を再読した。この長い自伝は、失脚してすぐに書かれたもので、失脚は不当だ、という前提で、自己弁明の臭いがぷんぷんする。といっても、白石風に自己弁明している。白石が世に出たのは、37歳で、甲府宰相徳川綱豊に招聘されたときにはじまる。綱豊の父は、家光の三男で、兄の家綱(4代将軍)が死去の後、四男の綱吉が飛び越して5代将軍になった。綱吉に子がなかったので、多くの反対があったが、豊綱が次期将軍に決まり、家宣と改め西の丸に入った。ために白石は引き続き侍講を勤め、学問好きの豊綱=家宣のために、学術全般を教え、家宣の信任厚く、天下有用の学を(なかば将軍に成り代わって)実践する場を与えられた。ただし、白石は無役(寄り合い)に過ぎない。無役が、将軍と同じ権限を持って政治を行う、とは幕閣を飛び越えた政治断行である。個人プレーだ。独裁である。ただし、白石は万般に通じた戦略家にして「鬼」とも呼ばれた論戦家である。ま、革命以前のレーニンだ。老中筆頭も、大学頭も、束になっても歯が立たない。そのうえ将軍の信認がある。その将軍の窓口になる、側用人間部詮房(あきふさ)と絶妙なセットプレーを演じた。こういう学者(哲人政治家)をプラトンやレーニンは望んだが、白石だけが1709~16年まで演じたのだ。そのご不遇の10年を生き延びたので、著述の期間があり、百科全書家白石が残った。ま、多くは、よくよく知られたことだ。ただし、37歳までの白石の人生は、ぱっとしなかったというより、運命に翻弄された。「青春とは何?」と聞かれたら、「何もない」と答えるほかないものだった。白石にしてだ。