読書日々 821

◆170317 読書日々 821
蒼国来は、立ち姿がいい力士だ
 春は、確実に馬追の山山にもやってきている。この山たち、栗山から由仁・長沼まで、石狩平野の東端を縁どる丘陵線で、最高部でも300mもない。辻村もと子『馬追原野』(1942 一葉賞(第1回 44年受賞)の「馬追」原野は、わたしが住む馬追山を南端とするこの丘陵線よりずっと北部の地域(岩見沢の志文)だ。ただし、この丘陵の中央部にある三角山の頂上(長沼町内)には、『馬追原野』を記念した文学碑(まおい文学台)がそびえている。この高台に立って、眼下に広がる石狩平野を一望すると、奇妙な地理的錯誤に陥った感がする。あれが馬追原野じゃないのか、と。
 地域が、その地域の文学を顕彰するのは歓迎すべきだ。この点、旭川(軍都)で生まれた井上靖(父が軍医)の井上靖記念館は、じつにいい。井上の「生誕」には、じつに悲しい(?)事実が存在する。
 だが、この丘陵線こそ、同じ南空知でありながら、長沼や南幌と由仁、栗山、栗沢(現在は岩見沢に編入)とを、開拓や地理・文化で分かつ稜線であったし、現にもそうなのだ。
 2 蒼国来(そうこくらい)は「中国」出身の幕内力士だ。本名、恩和図布新(エンケトゥプシン)からも分かるように、内モンゴル赤峰市(90年代はじめまで、ジョーオダ・アイマク=昭鳥達盟)出身で、かつては熱河省に属した。力が強く、だが立ち姿(185cm、145kg)がじつに美しい、そう双葉山をさらに美しくしたような力士だ。昨日は、鶴竜にあっけなく敗れたが、ケレン味(はったりやごまかし)のない相撲を取る。
 「中国」とは、歴史上、中華民国(1912年、孫文が建国し、1949年蒋介石=国民党が台湾で開いた)と中華人民共和国(1949年毛沢東=中共が建国した)の略称である。チャイニーズは、西域の秦(Bc.221年政=始皇帝)が統一した、黄河流域の漢人、正確には、シナ(秦=チーナ=China)人のことで、その国域の最大は、清国の版図に重なる。清は、満洲族が立てた、モンゴル帝国の後継国である。中国は、翻って、清の、満洲の、モンゴルの後継国家である、ということだ。
 そうそう、一時、札幌大学は、留学生を大量にとった。中国、(内モンゴル)、台湾、朝鮮等と、出身地はさまざまだった。もっとも出席がよく、きちんと課題をこなし、試験にも準備をして臨んだのが、内モンゴルの人(学生)たちで、明らかに南や北の中国人とは、外見もモラルも異なっていた(ように思えた)。北魏、隋、唐、遼(契丹)、宋、金、元(モンゴル)、〔明〕、清、満洲(モンゴル)は、漢や蜀(四川)・呉・越とは異なる、北辺出身の王朝である。
 3 ひさしぶりに佐伯泰英の時代小説を読んだ。居眠り磐音の最終配本2巻が出たのが16年1月、磐音の息子の空也を主人公とする新シリーズ「空也十番勝負 青春編」の1番勝負『声なき蟬』(上下 双葉文庫)が17年1月だ。今週、この2冊、一気に読んだ。ま、面白かったが、どうということはなかった。愛読書とは、こういうものだ。「なるほど」である。むしろ、昨年3月、宮崎、大分を巡礼で訪れた時のことが刺激され、甦った。『声なき蟬』の急所は、川内川(千台川)であったが、宮崎から飫肥(おび)を抜け、高千穂から入った、豊後・竹田城城趾が、この旅のクライマックスだった。(詳しくは、16年4月のこの欄で。)
 佐伯は、わたしと同じ歳で、磐音のシリーズだけですでに2000万冊を売っている。その佐伯が、あとがきで、活字離れと出版不況で、出版ビジネスが成り立たず、書店で本を買うように、と書いている。もっとも、糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が、昨日16日に、ジャスダックに上場した。デジタル新聞業だけでなく、企画、出版・文具、食料品等の小売業もやっているそうだ。紙の「活字」離れは、出版不況ではなく、出版媒体、携帯、流通の「革命」をも意味する。実際、佐伯はPCで書いて、電送し、あっという間に本にしている。わたしは「紙」も「万年筆」も好きだが、キーボードを叩き、伸縮・校正自在で、定稿を仕上げ、そのうえ、モニターで小説を読むのが、苦にならないだけでなく、眼に楽だ。楽しむことができる。
 4 『倫理学講義』(1994)を改稿し、1章を加えた。新しい名でこの夏のはじめ出る予定だ。そう、わたしの専攻は「倫理学」で、「非・反」倫理が分からないと、論窮など不可なのだ。