◆170804 読書日々 841
鮎川長編ミステリを、いちおう、読み終える
涼しい。先週もこう書いたはずだ。連日、日が落ちると、窓を閉める。昨夜は、肌を刺すような冷気が侵入する。
1 月~水まで、厚別。かなり慣れてきた。ただし、調子が出だした新著というか「最終版」の仕事をついやりすぎてしまう。結果、打ち間違いの連続にあいなる。これがくやしいったら、ありゃしない。老化によるもので、手・頭・キイがスムースに連動しない結果だ。ま、それでも、100枚を超した。いつもなら、ここから脱稿まで一気呵成だが、かつての関越線じゃないが、ため息が出てしまうほどのスピードになっている。
2 鮎川哲也の長編ミステリの「最終」読は(『白の恐怖』を残して)、『朱の絶筆』(1979)だ。
主人公は、本編にもその名が出てくるが、超売れっ子作家で、独裁者然としてふるまったミステリ・時代小説・怪奇もの等何でもござれの、長谷川海太郎(1900~35 林不忘・谷譲次・牧逸馬)の「再来」といわれる。そういえば、函館出身の長谷川と、長沼出身で戦前の共産党日本支部の最後の中央委員長、野呂栄太郎(1900~36)とは、生没年がほとんど同じである。世評ではまったく正反対と思えるような性格の持ち主だったが、ともに「自滅」といいっていいような生き方をした。長谷川も多作家で、急死した。
探偵は、「素人」の星影龍三(貿易商)だ。舞台は軽井沢の別荘(?)で、豪邸だが、かなり以前、鳩山由紀夫の別荘(軽井沢)をTV番組で拝見したことがある。鳩山邸の方が、数段豪壮に思えるから、不思議なものだ。鮎川描く作品に登場する「豪邸」は、どれも、何かミミッチイ感じがしてならない。偏見かしら。
ここに来て、ようやく、作者の「アリバイ」作りと「犯行」方法、さらには真犯人を明示できるようになった。だがこの作品の「動機」の多くはほとんど分からない。誤読を誘う網の目が、蜘蛛の糸のように張られているからでもある。最後に登場する探偵の事件「解説」も、「解明」の一つに思えてしまう。
これで「便秘」が終わったようなすっきり気分になったかというと、そんなことはない。短編がどっさり残っている、しかも「倒叙」もので、かなりのマンネリものも混じっている。ただし短編といっても、100~200枚の「中編」も多い。一気に読み切ることが可能な分量だが、いつものように、うつ伏で読んでいると、手も足も痺れ、頭が動かなくなる。めまい状態になり、うっ伏してしまう。
最近、Hazuki(ルーペ)を買って、文庫本の字を追っている。たしかに読みやすい。だが、眼(頭)の疲れが倍加する。ま、これも老化のせいだから、誰に文句もいえない。
といっても、いま、読みさしの星影龍三ものの短編集(4作品収録)が手元にある。
3 「研究大学」(research)と「授業大学」(teaching)の2種(カテゴリー)がある。それぞれ2と10種に分かれる。前者は研究助成金の額で分かれ、後者は学位等の違いで種別(カテゴライズ)される。アメリカの大学のことだ。
日本の大学の世界ランクは低い。東大が39位で、京大が辛うじて100位以内にとどまるのみだ。といっても日本の大学の研究内容が低水準なのではない。研究成果(論文等)がほとんど日本語で書かれているからだ。仏、伊、独、露、中等では、学術論文の過半は、英語あるいは英訳ということになる。
しかし日本語の英訳化がスムースに進まないということは、日本人の知識(読み書き)が、他国人で取り替えにくいということも意味する。日本人の知識人や学術者が、日本では、独占的地位を占めることになるのだ。小中高の教師だけでなく、大学教師を簡単に外国人に代替できないわけだ。知的高度さだけでなく、知的独占を、日本国内では、日本人が占めること、占め続けることの意味を、うまく書いてみたい。