読書日々 855

◆171110 読書日々 855
ひさしぶりに現役の編集者たちとあってきた
 今日は長沼で書いている。書斎は蝉の抜け殻のようだが、本はまだ相当残っている。
 1 5月、三重や富山まで足を伸ばしてから、半年ぶりの上京だった。この間、なんだかんだと仕事をした。定宿に泊まるが、今回はゆったりした旅程だ。
 11/7 2時少し前、大門(増上寺)の武鮨の昼休みの少し前、2年ぶりではないだろうか。改築してはじめてだ。すこしだけつまませて貰った。カワハギの刺身が特段に美味い。鰹は色は抜群だったが、いまいち。夜は言視舎の杉山さんと八重洲の「だぼ鯊」(天麩羅)で。すこし時間があったので、近くの「ブリック」でバーボン(メーカーズ・マーク)を1杯、初めての味だが、これは美味い。このアメリカン・バー、年中無休で、古いというか、いい味を出している。6時、だぼ鯊で、杉山さんと再会(?)、お疲れのようだった。大将の高橋さんは、わたしと同じ歳、背戸さんがなくなったのを知らず、つい最近も立ち寄ったような気がする、という。なじみがなくなる。いい店が店を閉める。わたしが知っているのは、銀座のバーブックと大門の武鮨とだぼ鯊くらいになった。井上さんに書かせようということになった。テーマはイノベーション。
 11/8 海竜社で11時半に社長と会うことになっていたが、御成門から築地まではあっという間、赤石町の聖路加国際大前はすぐに到着。景観がこんなにいい出版社は珍しい。若い編集員4人を紹介される。社長と藤波(ベテラン)さんと昼食。隅田川(勝ち鬨橋)を見下ろせるホテルのレストランで、豪華版だが、わたしはビールを堪能。三浦朱門、渡部昇一先生を始め、今年物故した人たちの話が口をつく。社長とは、曽野さんの聖地巡礼で同行して以来の関係。突然電話が来て、書けと命が下る。今回もそうだった。ただし、この社でわたしの書いたもので増刷りになったのは1冊だけだから、申し訳ない気がいつもしている。夜は、前日連絡が付いた岩崎さんとひさしぶりに武鮨で飲んで食べた。同じ歳。いつ倒れても不思議ではないが、会うときは若くなる。この日も一軒目で、はやばやと宿に帰り、眠った。
 11/9 ひさしぶりに神保町に出て、時間があったので三省堂に寄る。4階の哲学コーナーに、拙著のコーナーが(残って)あった。言視舎の著作が並んでいる。こういうとき、わたしはまだ生きているのだ、生かされている、という素朴な感情が吹き出す。自分ファーストの瞬間だ。
 KADOKAWAの編集者2人(大林・泉)と会う。ヒルティ『幸福論』の新版に解説を書いた縁。話があっち飛びで雑駁になって失礼したかも知れない。でも若い人(?)と話すのはやはり楽しい。牡蛎フライは美味かったのに、ここでもビールのほうを堪能。
 2 疲れ切って、妻の車で長沼の自宅まで帰ってきたが、おいしいカレイの煮付けが出ても、食欲が湧かない。居間やダイニングは家財道具が減って、すかすか。
 いつものように、ビールを飲みながら、科捜研の女とドクターXを観、その流れでニュースセンター(朝日)を眺めていた。この看板番組、いつから反チャイナになったのだろうか? 米中の2大強国支配に、日本が割って入れないのは、安倍政権の誤算ではないか、というのだから驚きだ。日本はアメリカの軍事力でチャイナの強圧を辛うじて防げているにすぎない。ただし日本もアメリカも、経済がことのほか上手くいっている。この点、中韓と大きく異なる。しかもバブル期とは違う。基幹産業が好調なのだ。政治も安定している。野党は政府のあら探し以外に話題がないらしい。でも、どんな政権だって、露中のような強圧独裁政権でない限り、3割の批判があるのが正常なのだ。不磨の大典だと称された欽定憲法改正反対なら、まだ多少とも話が分かるが、日本国憲法改正絶対反対などは、まともな立憲・法治社会の人間の思考とは思えない。
 さ、今日からまた厚別に戻る。といっても、4日ぶりにすぎない。