◆171103 読書日日 854
『疾風韃靼録』と『風濤』
寒い日の中に、ほっとするような晴れ間が、ポツンと挟まる。パソコンが新機種になって、格段と使いやすくなった。旧のは、長沼に残してあるが、のろい。古ぼけた頭にはちょうどよいように思えるが、そうじゃない。馴らしであり、慣れだ。速度ののろさについていけないということになる。習性は進化するということでもあるのか。
1 一昨日、編集者(海竜社)から新刊ができたという電話をいただいた。いつでも、いくつになっても、新刊書ができあがると嬉しい。気持ちがフレッシュにされる。ようやくあれもこれも一段落つきそうなので、上京しようと思う。八重洲の「だぼ鯊」に足を向けよう。(これを書き終わったとき、本が届いた。)
地下鉄の御成門、現在は西新橋といわれている慈恵大病院近くの定宿から、旧路(?)をたどって、鉄砲洲の旧中津藩中屋敷跡まで、夏の最中に歩いたことがある。福沢諭吉の往復路をだ。鉄砲洲には聖路加病院がある。海竜社はそのねきに数年前引っ越した。社長妻夫は、巡礼の旅で同行したことがある。何冊か本を作らせてもらってきた。曽野綾子さんのおかげだ。2年半前には、『ヒルティ 老いの幸福術』を書き下ろした。編集者から「労働」ならぬ「老働」という言葉をもらった。仕事こそ幸福になるための最上術だ。この本の縁か、角川ソフィア文庫の新版『幸福論』(秋山英夫訳)の解説依頼があった。この本で、スピードが重視される。すぐやり、素早く仕上げる。いいものができあがる秘訣だ。こういわれるのだ。雑でもいいといっているのではない。完璧を期せというのでもない。8割できれば上々という。仕上げのスピードも、完成度も、上げていけばいいのだ。
2 鮎川哲也編「鉄道ミステリー傑作選」(カッパ・ノベル 1975~76)全3巻には、柴又健(?)のカット(鉄道関連)がたくさんついている。これがたまらなくいい。光文社文庫版にはこのカットがない。物足りなく感じるのはわたしだけではないだろう。
わたしは鉄道マニアではない。が、気がつけば、1950年代後半から、北海道の鉄路を「くまなく」たどってしまった経緯がある。無意識にだ。もっとも、江差~木古内間は、乗った記憶が残っていない。くまなくというのは、じゅうぶんにあやしいか。
鮎川選の鉄道ミステリは、このご何冊も出された。楽しみがまた増えたわけだが、入手するのはなかなか難しい。ま、ぼちぼち行きますか?
3 11/5 函館で「書評という仕事」という講演に行く。日帰りで慌ただしい。前に別の主催で、北海道のミステリについて話したことがある。場所も同じ中央図書館だ。石狩市図書館にいた丹羽さんの橋渡しだ。書評の仕事をやってきた。本業並みにだ。谷沢先生には、60を過ぎたら、本の紹介は控え、自分の仕事に専念しなさい、といわれた。しか、書評の連載が、今年で終わるので、ここまで続けてきた。
本を読むのが「仕事」だ。読書・読解を通じて、書く。これが物書きの常道だ。
司馬さんの『疾風韃靼録』は、最後の長編小説だ。面白い、を超えている。こういうストーリイのネタ(資料=書いたもの)をどこで・どんなコネクションを通じてつかんだのか、どうやって膨らませて書くことができたのか、じつに不思議(ミラクル)だ、と梅棹忠夫さんが語っていた。その通りだ。時代は、明を倒して登場する、清(満洲)王朝の勃興期である。井上靖に『風濤』がある。高麗を先兵にして日本侵略を計る元の時代の朝鮮が舞台だ。司馬は朝鮮侵略(明侵行)を謀る秀吉が亡くなる時代を背景にした、渡満記を書いたのだ。井上は、元の日本侵攻を活写する。ともに舞台は朝鮮・満洲で、朝鮮を挟んで、日本とモンゴルが関連する。これを裏面から見れば、元寇の失敗で、明が登場し、明の朝鮮出兵で清が登場する。「戦争から革命」だ。だが漢族(チャイニーズ)からすれば、明=南蛮、元・清=北狄の侵略だろう。