◆171124 読書日日 857
中村久子=沓沢久里が道新文学賞を受賞した
1 わたしたちの学生時代には、脇田修・晴子のパートナー歴史学者がいた。夫は江戸史、妻は中世史を専攻し、重なる部分があった。修(阪大教授)先生は、書くものも風貌も大坂の町人学者のようになっていったが、盛名は晴子教授(たしか勤務校がいろいろ変わり、滋賀大教授で終わった?)の方に移っていったのではないだろうか。この夫人の風貌はどちらかというと「おばはん」だった(!?)。修先生の授業はとらなかったが、著作は読んだ。(この時代中世史で黒田俊雄という猛者が、阪大にいた。アウシュビッツの看守のような悪相(?)で、YMCA=予備校でも教わったが、「団交」の席で、言葉に詰まって、面と向かって「はげ!」といって、窮地を逃れたことがあった。黒田さんの学説=権門体制論には、権力の複合的な実態・機能というダイナミズムがあり、なるほどと思わすところがあったが、歴研の「本流」意識があって、あまりなじむことができなかった。ただし、学説とイデオロギーを峻別すれば、日本の歴史『蒙古襲来』(中央公論)の内容と叙述の生気には感嘆した。もっと驚いたのは、黒田さん、この印税で、書斎を建てたということだ。)
晴子氏は、学問では、網野善彦の新説、中性非農民=天皇直属論に槍を突けるほどの猛者でもあった。が、歴史学者には稀な(?)、夫妻ともに「文化」人で、晴子氏は文化事業にも奔命した(のちに世界遺産になった石見銀山の保護等)。そういえば晴子氏は文化勲章をもらったのだった。
以上は前節だ。
2 「〇×林修先生」の番組によく登場する、中世史を専攻する本郷和人(東大史料編纂所 1960~)教授は、面白い風貌をしている。というか、立派な顔立ちを、戦国武士さながら悪相に際立たせて、つばを飛ばしながら懸命に論じる、そのスタイルが好ましい、と思える。その本郷のパートナー恵子教授もやはり中世史研究で、勤務先も同じだ。和人氏の著作にも、ときに引用される。
江戸期は大石慎三郎に学んだが、中世史は多士済々で、特にこの人というという人はいなかった。だが本郷教授『戦いの日本史』(角川選書 2012)は、一読、好ましい。『天皇はなぜ生き残ったのか』(新潮新書 2009)は、すんなり頭に入ってくる。「天皇はすることがなくなった」、これこそ皇統=勤王の存在理由(レゾン・デートル)だというのだ。でもヘーゲル(皇帝の仕事=押印・生殖)の、そして私の意見でもあって、だが山本七平『現人神の創作者たち』(1983)の「発見」だ。(本郷氏、山本七平の本を読んでいるかな。いないだろうな。)
本郷は、どういう経路からかこの2著ではわからないが、七平さんと同じことを随所にはめ込んでいる。そこに、口角泡を飛ばすくらいの「雑学」(専門以外の知識)の力が生きている。面白い。というか、学(問)=scienses は歴史なのだ。
3 鹿児島大の広瀬勝弘(准教授)さんからメールがあった。こんど新設された京産大の新学科に教授採用されたそうで、その報告も兼ねている。こういうメールをもらうたびに、物書きの幸せがじんとやってくる。端的に、書いておいてよかった、ということだ。
4 中村久子(筆名 沓沢久里)さんが『通天閣が消えた街』(亜璃西社)で、本年度の北海道新聞文学賞をとった。この賞は権威ある賞で、女性では吉田典子、木村政子、藤堂志津子等、力のある人がもらってきた。そのなかでも久子さんは最高齢ではないだろうか。確かわたしより10年上だ。しかしこの10年来に書き始めた「大坂」ものは、従来の中村作品とはちがった、「こさえもの」にとどまらず、書きたいもの・書きうるものをものすという、独特の大坂ラプソディ=中村久子エレジーである。この点で歴代の受賞作と異質というか、小説の面白さの核を持っている。田中美知太郎は、プラトンの人生は、その作品のなかにこそある、と喝破した。久子さん、おめでとうございます。
5 何か気分は12月という感じだ。押し詰まったというのではなく、静かに終わってゆくという気分で、なかなかいい。今日もうっすらと積もった雪に、粉をまぶすような雪片が舞っている。