◆171215 読書日々 860
夏樹静子原作作品を毎日観ている
寒い。滑る。毎日の「標語」(マキシム)だ。部屋から出ない。靴を履かない。
厚別は散歩道というか、老人でも歩くことができる歩道がじゅうぶんにある。裏道も豊富だ。雪が降り、氷の凹凸だらけになると、歩行が難しくなる。まず足下だ。次いで車道を渡るときだ。横断歩道も怖い。ゆっくり慎重に、というわけにはゆかないからだ。それに車も急に止まれない。老人を「弱者」と自己認定し、「弱者優先」を自己主張するだけのことがないか。自省である。
1 旧(?)鷲田研究所に、引っ越し時、書棚を10本ほど入れてもらった。そこから鮎川哲也関係+ミステリー辞典類が入った箱を抱えて、階段を降りた。重く大きい。ひさしぶりの「冒険」である。冷や汗をかいた。
『世界ミステリ作家事典』は本格派篇(1998)とその他編(2003)がある。森英俊が編者で、これは読み応えがある。ただし日本(人)は入っていない。『日本ミステリー事典』(2000)は権田萬治・新保博久監修で、こちらは内容が濃い。とても重宝している。『なぜ北海道はミステリの宝庫なのか?』(2009 井上美香との共著)を出したとき、大きな手助けとなった。
『ニーチェ事典』(1995)がある。三島憲一他が編者だ。編者の三島や高橋順一の書いたものには世話になった。ところがこの事典、西尾幹二を黙殺しているのだ。日本のニーチェ研究は、西尾なしに成り立つのか、というほどの「大物」だ。わたしたちの北海道ミステリ紹介にも、記述漏れしたミステリ作家がいた。それを指摘した評者もいた。その指摘は「妥当」だ。だが西尾は「漏れ」ではない。「漏れ」はどんなに正確を期しても不可避だ。
2 妻が、実家の墓(多摩)を整理するため、上京した。そのついでにと、国立新美術館10周年記念で開催されていた、「安藤忠雄展」に寄って、記念本を購入してきてもらった。この本が安藤の墓標にならないことを祈る。
墓そのものは更地にすれば、他の人が利用できる。だが、長いあいだ墓地に埋められた、どの人とも特定できない骨等は、勝手に処理できない。わたしの家も墓はある。その存続は妻任せだ。どんなに希望を述べても、死ねば自分の思い通りになることはない。後事を託すという希望的観測を漏らすことができるに過ぎない。
3 TVで、夏樹静子のミステリが続々と再放送されている。それとていねいにつきあっている。夏樹のシリーズものは、代替わりも含め、何度も観てきたが、これが最後かなという思いもある。警部補佃次郎(西郷輝彦主演)、弁護士朝吹理矢子(真矢みき)、「……に佇つ人」(賀来千香子等)、多摩南署たたき上げ刑事・近松丙吉(伊東四朗)、特捜刑事・遠山怜子(浅野ゆう子)、検事霞夕子(沢口靖子)等で、異常な突出だ。朝吹理矢子の真矢は、仕草が大仰でせっかちかつ下品だから、原作の適役とはいえないが、過去の主演者と違った役となっている。沢口はどんな役も、とはいえないが、役にはまった「探偵」をこなしている。
なお夏樹静子の『霧の証言』と『わが郷愁のマリアンヌ』の文庫本解説を、わたしは書いている。鮎川は、夏樹静子と山村美妙の本格才能を高く買っている。二人とも量産作家で、鮎川とは違ってベストセラーを次々書いた。
4 福沢諭吉の後半生とは、何歳ぐらいからだろうか? 「後半」は人によって違うが、諭吉の場合、50歳(明治16)を挟んだころと断定していい。そしてここからが難しい。
諭吉は過去の「マキシム」に縛られて言動するという人ではない。すぐれてジャーナリストでもある。時代の変化に対応する修正主義者だ。ただし「一身・一国立」=自立と独立を手放さなかった。自国=日本の独立だ。それをどのように達成できるか、これが終生の「格率」(目標)であった。