読書日々 862

◆171229 読書日々 862
中澤千磨夫の小津安二郎論は、新色の傑作だ
 今年は実に感慨深い年になった。わたしの子供たちも、苦しみながら新しい段階を迎えたように思える。1970年代に生まれた世代で、かつて「新人類」とよばれたが、まさに彼らがさまざまなジャンルで地歩を築きあることが、確証されつつある。嬉しい。それを実感することができる。幸運だ。
 1 かつて40代というと、よくて現状維持、普通は減退期と見なされた。しかし寿命が延びた。40代は、ようやく地歩を築いて、飛躍が可能になる時期だ。プロ競技の世界は、20代の後半から30代が全盛期だ。いまでもそうだが、柔らかい知能を競う将棋の羽生善治(最高峰=竜王奪取)と柔軟な心身を競う競馬の武豊(G1:中央4,地方2,海外1)は、いまも突出した成績を残している。武の上にいるのは日本騎手では福永裕一だ。イチローだって場所さえ見いだすことができれば一線で活躍できる。イチロー、羽生、武は、文字通り、前人未踏の達成を実現中だ。
 2 今年の「読書」で最大の出来事は、鮎川哲也の本格ミステリを堪能したことだ。『鮎川哲也読本』(原書房)で示された著作やアンソロジイを熟読できた。わたしの読書生活でも稀なことだ。寝転んで細かい活字を拾うことが苦痛になってきたが、鮎川の作品はそれを苦にせずにすむほど味読できる。
 鮎川のベスト3は、『黒いトランク』『ペトロフ事件』『戌神はなにを見たか』だが、他の作品も含め、天才探偵(例外は星影龍三か?)が登場し、快刀乱麻を断つような作品とは、逆向きだ。この人、乱歩と同じように、新人や消えていった作家の作品を発掘するのに、エネルギイを費やした。すごい。ただし変人だ。
 3 今年読んだ作品の最高傑作は、中澤千磨夫『精読 小津安二郎  死の影の下に』(言視舎 17.6.30)だ。①文学と映画鑑賞の新しい味読法(art)を提示した。②ビデオ・DVDで映画を見、評論するというのなら、かなりの人が暗黙裏にやっている。しかし文芸評論として確立したのは、中澤を嚆矢とする。③その文学論の中核にあるのが、「大極」と「細部」の絶妙なといいたいが、奇妙な融合だ。まさに literary criticism である。④中澤は、この作品で、師の亀井秀雄の業績に肉薄する橋頭堡を築いた、と思える。30年来の仕事の達成だが、膨大な書かれたものの書籍化は緒についたばかりだ。わたしが生きているうちにその過半を読むことができたら、どんなに幸せか。
 わたしは自分が読んだものを人に勧めない。だが、この作品は強制しても読ませたい。映画愛好家だけでなく、文学愛好家に読ませたい。もとより研究者に読ませたい。
 4 今年は、長年すんだ長沼の山を降りて、愛郷の地厚別に戻り、姉妹や孫とともに年忌を行った。坊主は呼ばず、かわりに小冊子『鷲田家 2017年  年期を迎えた人びと』(自家版)をまとめた。曾祖父彌左衞門、祖父彌太郎、父金彌、母キヨ、義父加藤賢司の簡単な、主として記録に残された事績集である。残念ながら、わたしは女4人に挟まれた男1人で、男上位で育てられた。家系は、鷲田信夫(高槻)さんが調べてくれて手がかりはあるが、女性は母を除いて捨象した。申し訳ない。
 5 今年最大のイベントは、長沼から厚別への移転だったろう。ほとんど妻が準備し、身一つで移動したわたしは、設定された部屋に居を与えられたも同然である。妻以外、誰も来ない。独居状態で、本とTVにかぎりなく浸ることができる。別な部屋に妻が、妹が、息子がいる。「6羽のかもめ」という倉本聰のドラマがあったが、ここは5羽のカモメというところか。
 6 念願の『日本人の哲学Ⅳ』(言視舎)「6自然の哲学・7技術の哲学・8人生の哲学」を出して、全5巻全10部を完結することができた。著者としてのわたしの最大仕事を終えることができたのだ。幸運のかぎりだ。発行元の言視舎は、全巻の目次を蛇腹の栞にしてくれた。幸いなるかな2017年であった。
 7 この年、三浦朱門(作家)、背戸逸夫(編集者)、山本晴義(大学教授)、渡部昇一(大学教授・評論家)、笹田利光(大学教授)、我孫子晴美(作家)という恩義・親交ある人たちを失った。背戸と笹田両氏は、わたしとほぼ同じ歳だ。年々数が多くなる。あらためて合掌。