読書日々 885

◆180608 読書日々 885
針槐
 快晴が続いた。今日はどんより曇り。6日から「YOSAKOI ソーラン祭り」がはじまった。「雪まつり」とともに札幌市民手作りの大イベントで、21世紀に入って、200万人の観客を集めるようになった。ま、わたしは祭りはパスしてきたが。
 1 6/6の「朝日新聞」夕刊から「北のインデックス 蝦夷から北海道へ」で、井上美香の連載がはじまった。第1回は、「アカシア」(ニセアカシア)である。
 30年余前、長沼に居を移したとき、荒蕪地に最初に自生したのが「針槐」(はりえんじゅ)=ニセアカシアだった。巨木になるということだったが、手植えした落葉(カラマツ)や白樺にすぐ背丈が追い抜かれていった。
 針槐はどこにでもある木で、豆科で堅い種をばらまき、繁殖力が強く、とげを落とすので、やっかいな樹でもある。ただし、わたしの体験では、乾燥地帯、たとえば、シナイ半島の砂漠をモーセがたどった道の途上に、裸木の大樹となって羽根を広げていた。日陰を提供していたが、雄々しくも痛ましくも感じた。
 そうそう、わたしたちの老世代は、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」の歌や渡辺淳一「花埋み」等の作品を思い出す。西田の声はいまでも「菊正宗」のCMソングで聞くことができるが。井上さん、おめでとう、健筆を祈る。
 2 リーマンショックというか、世界同時金融危機があって10年目になる。
 株・土地高騰にあおられた「バブル」期とその処理を経験し、一人負けしていた日本は、この危機=リスクを最小被害で乗り越えることができたはずだ。しかし豈図らんや、麻生内閣の無為無策というか、相も変わらぬ「ばらまき」政策により、民主党に政権が移った。
 この政権が残した「災禍」は、数え上げたら切りがない。とりわけ鳩山・小沢(小鳩)コンビが残した禍根は、10年後のいまなお日本と日本人に分断と苦痛をもたらしている。
 できもしないキャッチフレーズ満載の「公約」(マニフェスト)に釣られた国民多数が馬鹿を見たが、日時は自分たちの選択の甘さを忘れさせるようだ。
 小・鳩の最大の「口害」としかいいようのないフレーズは、「国外、最低でも県外」で、日米同盟を一瞬にして凍結状態に追い込んでしまった。普天間基地の移転がいまなお「未完了」なことの真因だ。小沢の公約は「農業補助金」を廃止すると同時に、中核農家への「所得補償」に切り替えるという「山下理論」を掲げて、自民党の最大の集票基盤である農協の切り崩しをねらったのだ。
 小鳩コンビは退潮・退陣、菅に丸投げした。だが2011/3/11、大震災が襲った。この自然災害によく対応し、好機に転じることは可能だった。しかし、菅と民主には経験値がなかった。菅をついだ野田は政権党(=自民)の政策をまるごと踏襲する挙に出た。これには自民も真っ青だったのではあるまいか。
 だが、国民は民主党を選んだ自らの過ちを棚に上げ、民主党を見限った。民主党は消滅の道を歩むが、この政権党3年半の経験は、貴重だ。もっとも、この経験を生かすリーダーは、再浮上していないが。「羮に懲りて膾を吹く」の体で、「弁護士」(三百代言)よろしく振る舞っている。
 3 よく「失敗」から学べ、といわれる。「成功」した人の弁だ。よくよく見ると、すべて成功(結果)だと思えるものは、失敗の種である、ということがわかる。それほど「好機」にあるときは、イケイケドンドンでなければ一応にもせよ「成功」にたどり着けない。でもイケイケドンドンはつねに行き過ぎに終わる。途中で引き返せない。ここがつらい。が、それでこそ人間である。
 わたしは、書きまくった。間違ったもの、浮かれたもの、もはや自分の手では直すことが不可能なほどにある。一応パソコンのなかには入っている。目前にさらすのは、恐ろしいが、疎ましくはない。まさに針槐のようだ。