読書日々 895 

◆180817 読書日々 895
タイ米はまずくない
 報道によれば、日本列島で北海道だけが取り残されたかのように、「冷夏」である。老人には恵みの「涼」に思える。
 1 「冷夏」というと、日本国中いな世界「中」が「冷却」化して不作を呼び込み、結果、日本に「米」不足(?)をもたらし、「タイ」(?)米を食べなければならなかった年(1993)を思い起こす。このタイ米がじつにまずかった。わたしの生家は米屋でもあった。戦後の食糧不足だ。外米と称する米を「配給」していた。わたしも食べさされたことがあった。なんともいえない臭いと味がした。子供心に、麦飯の方がましだ、と思えた。外米拒否症期である。
 93年夏、『探偵はバーにいる』で売り出し中のミステリ作家、東直己さんを自宅(長沼)に招いて、タイ米を食べる機会を持った。この時期、わたしも東さんも、なんでも食べてやろう性で、極辛のカレー症だった。女房が喜んでこの試みに賛同してくれたからできたわけだが、みごとに美味かった。工夫があったらしい。
 2年続きの「冷夏」(地球冷却)は、91年6月のビナツボ火山(フィリピン)の大噴火(火山灰粒)によって生じたとされている。この年を「平成の米騒動」と称することがある。「大正の米騒動」と比較してだ。もっとも大正の米騒動は、自由(競争)販売であった米の価格が高騰したためで、自然現象が主因ではなかった。
 数年後、曽野さん(日本財団)の調査旅行についてミヤンマー各地を回ったとき、よくカレーライスを食べた。というか、カレー飯が定食であった。アルミのボールに山盛り一盃の飯が出てくる。いわゆる食べ放題だ。カレーは、短い青唐辛子が何本も浮いているスープだ。このカレースープ飯が、じつに美味かった。辛くて舌も喉も焼け付くほどだ。ところがふかふかの飯も美味い。スープと飯がベストマッチで、眼球から汗が飛び出るほどの辛刺激で、全身が火のように熱く感じられるのに、一通り汗が収まると、爽快な気分にさせられるのだ。つまり、一種の消夏法である。
 食用不足期の外米も、93年次のタイ米も、まずかったのには理由があると後に判明した。輸送・保管中の管理が悪く、カビが原因だといわれる。日本政府や米屋は、タイ政府や輸出業者のせいにしたが。
 2 わたしは「地球温暖化」説を「疑似」生態科学=イデオロギーと見なしている。大規模な「オオカミ少年」なのだ。詳しくは、『日本人の哲学 4』(言視舎 2017)第6部「自然の哲学」で詳論した。 今西錦司のように、自ら先頭にたって打ち建てた「日本サル学」を中核とする生態学を、その晩年に、「自然科学」といわず「自然哲学」と見なした「気分」を、わたしはよく理解できる。ただし、日本サル学の欠陥を批判したのは、日本サル学を引き継いだ今西の弟子たちだった。自己批判=「修正」は簡単ではない。
 わたしの「地球温暖化」疑似科学説は、丸山茂徳(東工大 1949-)の地球変動原理(プルームテクトニクス)と「地球史=生命史」の受け売りである。最新理論に弱いわたしの性癖(弱点)はよく分かっているつもりだが、「地球温暖化」論のまやかしには、「自然破壊=公害=日本沈没・人類死滅」論のまやかしと五十歩百歩である、と考える。
 エッセイ「鯨の死滅する日」を書いた大江健三郎は、そこで人類に向かって人類死滅の「警告」を発したが、この小説家=SF作家=オオカミ「中」年は、いまどういっているのだろうか? えっ、「訂正」(修正)したって、そんな話、聞いてはいないが。
 3 14日、娘一家(孫2人)が帰省している。上の孫が熱を出し、長沼の旧宅に待避(?)していて、まだ顔を見ることはできていない。今日17日、こちらに来るそうだ。
 わたしの方は相変わらず、TVでミステリ番組を見ている。ただいまのお好みは、夏樹静子と山村美妙、それに西村京太郎(鉄道)のミステリだ。三人とも、「本格」派で、アリバイ設定と、三人三様、アリバイを崩をしてゆく「探偵」の言動過程がよくできている。というかどんな俳優でも(というわけにはいかないが)、つまりだれが演じてもロジックの力でミステリ事件を解くことができる仕立てになっている。この三人、多作家である。作家の人柄というべきか、冷・暖・常温の違いはある。