読書日々 906

◆181102 読書日々 906
『千言万辞』で思うこと
 寒い。ずっと鼻声。この夏、過ごしやすかった。そのぶん体がなまったままなのか、寒さに適応できない。四角い箱の中だ。外との連接がない。ま、ロビーに出る程度だから仕方がないが。昨晩ひさしぶりに街に出た。
 1 一昨日(10/31)の「相棒」は辞書編纂の悲喜劇だった。引く辞典ではなく、読む辞典、『千言万辞』という「個性」的で「平俗」に通じる、そしてなによりも「売れる」辞典である。万人に共通の平均的「語釈」をめざす教科書的辞典とは、違うコースを歩んできた辞典だ。
 わたしは、辞書(『広辞苑』)にこう書いてある。だからこの語の意味は違うのでは、という「校正」者の意見を尊重する。が、従うわけではない。わたしは辞書を「読む」わけではないが、自分を信用しない。辞書とは、便利だ。ただし万病に効く富山の薬に似ている。
 そうそう、三浦しおん原作の『舟を編む』を観たことを思い出した。あのときは『大渡海』という辞書で、主人公が猫好きのこともあって、時代は違うが、大槻文彦『大言海』をイメージさせる造りになっていた。
 いいたいことは別のことだ。哲学を多少とも研究してきた。二度ほど、辞書作りをしたことがある。
 ①『哲学・思想コーパス事典』共著(アルシーブ社 1987.1.10)
 ②『現代思想キイ・ワード辞典』編著(三一書房 1993.9.15)
 そして三度目に、『活用哲学大事典』(単著)を目論んだ。そのプランが残っている。それにもとづいて、060103から始めた「Web日々荒日」でそのほんの一部を例示し、暇を見つけては細目を書いてきた。ただし、アの部を終えるまでに到らなかった。理由は、事典か、『日本人の哲学』か、という選択を迫られたからだ。人生には限りがある。
 後者を選び、自ずと事典のことは忘れ、そのためにそろえておいた文献も散逸にまかせた。残念だが、仕方がない。ちなみに、「意図」が残っている。
「 1 他書にない4つの特徴
 1.1 単独の執筆
 *本格的な哲学事典では世界初
 1.2 「日本の哲学」を西洋哲学史の視点でのみとらえない。
 *日本の歴史も文化も、そして哲学も、西欧から独立に、並行的な歩みをたどってきた
 1.3 「学」としての哲学、「学校哲学」、哲学教授を中心におかない。人生哲学、野賢や他分野の思考者に十分な位置を与える。
 *例えば、プルタルコスや三宅雪嶺、マキャベッリや梅棹忠夫、リースマンや小室直樹
 1.4 内容水準を落とさず、表現は簡潔かつリーダブルに。
 *大卒なら読んで理解できる」
 この意気込みを断念し、「日本人の哲学」を選んだ理由も、今になってはわかる。
 2 小室直樹『信長 近代日本の曙と資本主義の精神』(ビジネス社 2010)を再読した。副題通りの内容で、ヘーゲルがその最初の主著『精神現象学』を書き上げた夜中、下宿の窓の下をナポレオン軍が粛々と通過してゆく。そのときヘーゲルは、自国(ドイツ)を侵略するフランス軍のトップに、自国を開放する「世界精神」を見たのだ。
 小室は、今川義元軍を打ち破った信長に、「近代」日本を切り開く「世界精神」を読む。みごとというほかない。今回あらためて脱帽した。
 3 手紙、メモ、写真、その他諸々を整理している。新しく与えられた裁断機で永遠のおさらばとなる。だがどうしても裁断できないものはある。
 中野重治からの「ハガキ」があった。北方文学宛だ。それを隠匿(?)した。中野研究家の丸山圭一さんに差し上げると約束しながら、この10数年、見つかっていない。空約束になっている。
 ところが中野でも、美代子さんの「はがき」が出てきた。中野さんに拙著をお贈りしたお礼で、「いつかどこかでばったりと言うことがあれば楽しい……」とある。ところでわたしの方は、一度「だるま」で中野さんを見かけた。でも挨拶もできなかった。なお中野さんの本は全部井上さんに差し上げた。そうそう、大西巨人さんからのはがきなど、裁断できないね。