読書日々 905

◆181026 読書日々 905
2019年2月は、鮎川哲也の生誕100年記念日
 小春日和というのか、今日は晴れていないが、わりと暖かい。といっても風邪気味で、鼻水がずるずるだ。『平成思潮 後半戦』の校正をしていて、なかなか進まない。何せ、500頁を超えるのだ。ま、ゆっくりいきましょうと思いつつ、半分に達した。
 1 というわけで、なにわともあれ校正ということで、あやうくこの日記を忘れるところであった。校正をしていて、一見ずいぶん乱暴に言辞を吐いている感がする。もちろん、意識してであった。コラムの呼吸でもある。あれもこれも差し障るものには、指さすだけで終わり、という気配を消すためだ。「指弾」が必要なので、その弾は自分にも飛んでくる。
 それにしても、平成という時代はとても面白かった。昭和から平成を彩った論客は、司馬・丸山、山本・小室、吉本、谷沢・渡部、みんな亡くなった。もののみごとにだ。若い人が当然出てきているはずだ。でも「わたし」の視界には入ってこない。アンテナに触れない。もうわたしの感知器=センサーは古臭い。このことを自覚したからって、なんの足しにもならないが。
 2 安彦良和『革命とサブカル』(言視舎 181031)を読みかける。まだ130頁当たりだが、当事者による、全共闘世代・対論だ。それも弘前大学全共闘からはじまって、極左は赤軍派に加わった人まで登場する。わたしは、白土三平とは違った意味で、だがその深いところでつながっている、安彦さんのフアンだ。マンガは手に入るかぎり集めて読んだ。『日本人の哲学』にも単独で登場してもらった。まぎれもなく「作家」なのだ。とくに秀逸だったのは『イエス伝』と日本古代史の作品群だ。
 その安彦さんが、全共闘世代を、「革命とサブカル」の世代として特徴付けようとする。
 わたしは、安彦さんたちより5歳上で、学生運動時代(66~72年)、一番多くわたしの周りにいた学生たちの一人だ。この本に名前が登場する「革命戦士」(?)たちの何人かを知っている(?)。とても身近だったし、同時にまったく相容れない溝があったようにも思えた。
 教師になって、全共闘=団塊世代と同一の卓上で議論をし、彼等、高橋、堀川、小倉、浅見等々と共同で雑誌を出したりもした。でもそのみんなは、安彦さんと違って、生産力が豊かだったとはいえない。ま、教師に安住したというわけでもなかったろうが。
 『革命とサブカル』は500頁を超える。まだとばぐちに達したばかりだが、安彦さんたちと、同じ世代の橋爪大三郎や副島隆彦と好対照というか、対極にある。
 3 来春、19年2月は、鮎川哲也「生誕100年」になる。「本格推理」小説という呼び方は、わたしにはなじまないが、犯人が仕掛けたトリックを論理で打ち破ってゆくスタイルの小説で、本格的に始め、最後までそれに徹したのが鮎川だった。本当のところ、鮎川の傑作と言われる『ペトロフ事件』や『黒いトランク』は、無類の面白さだったが、一読してもとんとその「謎」が分からなかった。読書の面白さは、「難解」さにもある。ただし「難解」は、論理を超えたあれこれではなく、論理で追い詰めることではじめて解決に達する、という体のものだ。
 この鮎川に長年師事した山前譲さんに「鮎川論」をお願いした。進み具合が気になる。どうなっているか。来年の誕生日には、本ができあがると素晴らしいのだが。