◆131018 読書日々 642
『文芸の哲学』のあとがき
村上春樹が、今年もノーベル賞を逃がした。村上の小説作品はほとんど例外なく好きだ。最新作も読んで感心した。感心したというと、上から目線のように聞こえるだろう。そうかもしれない。一つは愛読者であるという「特殊」意識があるのかもしれない。しかも小説の「おもしろさ」には独特のものがあり、読む者の琴線に触れないと(touch my heartstrings)、何ものでもない。二つは小説である。未知のであったことがない「人間」(じんかん)が登場する。配役(casting)の絶妙さだ。一人一人が独立したしかも他者である。感心したというのは感動したとは違う。こちらの心が微妙に動いて、対象をうまく捉えたという感じだ。
ヘミングウェイがもらってモームがもらえなかった賞がノーベル文学賞である。村上はもらいたろうし、もらえることにこしたことはないが、もらわなくたってどうということはないじゃないか。流行作家で小説書きとしてだ。こう強く思える。
『文芸の哲学 日本人の哲学2』の再校をやっと終えた。校正者が「疑問」点を鉛筆書きしてくれる。多くは「引用文」の照合を促すような場合である。そのたびに、本箱にしまわない、しまえない「原典」(? ただし印刷物)の当該箇所を参照しなければならない。これが本当に手間取る。貴重な指摘が1とするなら、空振りが5くらいだから、大いに助かる。安心するからだ。何せ、500頁ある。校正者の面倒に比べたら、著者の煩雑は物の数ではないだろう。それでも「誤植」「脱落」、完全な誤りに事欠かない。
『文芸の哲学』の「あとがき」を書いて送った。
〈1986年、44歳のとき、「昭和60年60人の思想家」をメインに論じるというもくろみで『昭和思想史60年』(三一書房)をだし、今日まで4度版を変えてきた。わたしにとって記念すべき仕事である。そのとき、作家・文芸評論家に異例のスペースを割いたという指摘を受けた。驚きと好意的な含みをもってだ。うれしかった。
日本人と日本語を練り、造形し、洗練にこれつとめてきたのが文芸作家の面々である。日本の哲学だとて「言葉」でできあがっている。日本語でだ。文学広くいえば文芸作品に学ばなくて、なんの「哲学」のいいぞ、というのがわたしの強い思いである。
わたしの「文芸」とのであいは、『もし20代のときにこの本に出会っていたら』(文芸社 2011年)に詳しく述べたが、大学に入るまではまことに素寒貧な読書歴にすぎない。文学作品を読むのは「私事」である。これがわたしの変わらない思いであった。そのわたしが文芸作品を評論家もどきのように評し、文芸雑誌の編集にたずさわるなどという姿を30代まで想像したことすらなかった。それがものを書くようになってから40年、『文芸の哲学』を、それも日本の歴史を通観するような大部のものを書いたのである。でも驚きはない。前著『日本人の哲学1 哲学者列伝』でメインにおいた、大きな影響を受け続けている吉本隆明も、世阿弥や兼好も、そして紫式部も文芸家である。本書も前著と同じく大部になった。すべて文芸作品を取り扱った。その精髄を表出しようとした。
ただし私ごときものでも「文芸の哲学」をまがりなりにも書くことができたのは、「先生」がいたからだ。古代・中世文芸で小西甚一、江戸近世文芸で中村幸彦、近代文学で谷沢永一の三先生である。谷沢先生には、小西、中村両先生の存在を教えていただいた。それに吉本隆明のオーソドックスでしかもマジックのような文芸評論の恩を忘れてはならないだろう。
いま「政治の哲学」を書いている。続いて「経済」と「歴史」の哲学を書く予定だ。まだ道は遠いが、はるかではないだろう、と私考している。最後に言視舎の杉山尚次編集長、田中はるかさん、それにいつもすばらしい装丁をいただいている山田英春さんにあらためてお礼を申し上げたい。ありがとう。
2013年10月末日 季節外れの初雪に見舞われた馬追山から 鷲田小彌太〉
11月中に出る予定だそうだ。一冊でも多く売れ、読まれることを願っている。でも一冊も売れなくたって目じゃない、などとつぶやきたくなることもある。出版社には面目ないが。