歴史は哲学の生命源である!
「国家権力」(政治の哲学)「資本主義」(経済の哲学)世界標準の「歴史書」(歴史の哲学)を日本歴史のなかに位置づける
全5冊10部『日本人の哲学』を書こう、書けるにちがいないと想定したのは、65歳の前後であった。10年、75歳まで生きのび、書き上げることができたら、望外と思えた。ところがここに、「政治の哲学」「経済の哲学」「歴史の哲学」3部を上梓することができた。いま現在の気分でいえば、ここが終り〔ゴール〕であっても「いい」という部分まで、予想を超えたスピードで書き上げることができたのだ。想定外の喜びである。
残すは2冊だが、基本部分はできあがった。あとは残務に近い。完成は指呼の間ではないか。このような気分に浸されている。だが、これは幻想の類いだろう。ホットし一服したいと思っているのは事実だ。ところが「いらち」が習い性なのか、すでに後続の「自然の哲学」等々に指が動いている。「目次」(Contents)をいらっている。これが存外に楽しい。
この巻は、「政治の哲学」で「国家権力」を、「経済の哲学」で「資本主義」を、「歴史の哲学」で世界標準の「歴史書」を基本概念にすえている。長いあいだ懸案としてきた基本カテゴリーを、日本歴史の流のなかに簡潔だがしっかりと位置づけようとして、しとげることができたように思える。この一点だけでも満足しなくてはならないだろう。
わたしの哲学は、1960年代の半ばからマルクス主義とともにあった。1970年代の半ばから90年にかけて、マルクス主義をのり超えることに奔命せざるをえなくなる。ずいぶん遠回りをしたように思えるが、他面では、マルクス主義を突破〔ブレークスルー〕できたからこそ「日本人の哲学」プランにたどり着くことができたのだ(と思える)。
ともあれもう少し寿命が残っていそうである。75歳までには本書を仕上げ、本物の残務に力を注ぐことができたら、それに勝ることはない。
