読書日々 1641 「近道を行け」(マルクス・アウレリウス」 

◆240426 読書日々 1641 「近道を行け」(マルクス・アウレリウス」
 1 ドコモからメールがあり、私の携帯機(ガラ系)は、…(電波関連?)で使用不能になる、よろしく、機種変更に来られたし、というものだった。
 16年前も、同様なことを言われたが、そのときは、いずれあなたの機種は使用不能になるから、スマホに変更しては、といわれた。妻は、そうしたが、私はガラ系で一向にかまわない、というより、「通信」はパソコンで、電話を携帯で、ということだった。新機種も、ガラ系に違いないが、わたしが使用してきた機種とは、「方式」(?)が違う、ということ(?)
 新さっぽろのど真ん中にあるこの店は、空いているのに、時間がかかる。あれこれ「助言」(?)してくれるが、「電話」機能しか使用しなくなった私には、どうでもよい。それに、肝心要の要望は、まったくスルーしている。ま、新機種機代を徴収され、使い慣れない携帯をもった、ということだ。この間、2時間。ま、16年前のガラ系機種使用に驚ろかれ、あれこれ、聞かれたが、少しでも売り上げをアップする当然の「サービス」に終始。隣にスマホ妻が居なかったら、途中で、まいいか、で店を出てきたに違いない。(結果は、電話使用機オンリーになったはずだが?!)
 2 今日は、朝から特別に暖かい。予報では、20度を超すそうだから、真夏日だろう。ま、ようやく「冬」からの脱却である。そして、第一部をようやく終え、「藤原不比等と紫式部  一周した天皇制から世界文学の世界へ」と書題を定め、いよいよ『源氏物語』の世界へ入ってゆく。
 ま、などと大袈裟なことを言っているようだが、実に「大げさ=大雑把」なのだ。ただし、哲学では、「大づかみ」とか、「大局で」とかは、最重要のマナーである。私は、年表を見るのが好きで、近眼鏡ではもはやぼやけてきたから、裸眼で、年表をね(睨)め回している。年表では、諸研究書に付随し、各所に散らばっているている年表が、貴重だ。年表こそ「大局観」なのだ。
 哲学は哲学史だ、と喝破したのがヘーゲルで、同時代のカントやフィヒテ、シェリングと異なるマナー=歴史眼だった。「年表」を作成し、「歴史経緯」と「論理展開」との「異と同」をたどる道を進むのが、とても気分にかなっている。ま、話半分に聞いて欲しいが。
….2 社長の哲学 2 哲人トップ  皇帝アウレリウスの「自省」は自己叱咤だ
 「松下幸之助は思想家か?」という質問を受けたことがある。松下関係者からだ。広い意味の哲人(フィロソファー)といっていい、というのが私の答えであった。苦し紛れの応答ではない。
 哲学を研究した者を総じて「哲学者」(フィロソファー)という。これと区別して、哲学的思考に慣れ親しんだ人を「哲人」といってみたい。松下さんは哲・学者ではないが、哲・人、つまりは賢人である。
 それですぐに思い起こされるのは、ローマ帝国の皇帝で哲人であったマルクス・アウレリウス(在位161~180年)である。マルクスは、哲学書といわれる『自省録』(精神)と至上の傑作といわれる騎馬像(肉体)を残したことで、後世、ローマ帝国の統治者中もっとも高い評価を受けてきた、カエサル(シーザー)よりもだ、と評判の『ローマ人の物語』で塩野七生は書いている。
 マルクスは若いときから哲学書に親しむ、内省的な人間であった。彼が病弱であったこともその傾向を強めた。しかし、皇帝としては、保守的ではあったが、軟弱ではなかった。むしろ敵味方の双方に対して、果断であった。さらに激務のなかで、彼は自分の生きざまを内省=反省することをやめなかった。
 「世俗のなかで右往左往するな。仕事にかまけて人生に倦んで、心の内から目標を失うことこそ、愚か者に他ならない。」
 仕事人間になるな、といっているのではない。およそ逆だ。ローマ帝国の皇帝はまずは軍のトップであり、戦の明け暮れの毎日である。だがどんな激務のなかでも、いな激務のなかでこそ、目標を片時もはなさず生きよ、と他人ではなく自分に、くりかえし言い聞かせる。
 ところで、ここで「人生の目標」とは何か?
「自分に与えられた仕事をくもりのない明晰な品位と親愛をもって、また、自由な精神と正義とをもっておこない、それ以外のすべての想念からは離れて、自己に安息を与えることである。」
 与えられた仕事を、自分の心に恥じることがないように、遂行する。専一このことにつとめ、外部の諸々に一喜一憂することを避け、自分の心を安らかに保つようにせよ。こうマルクスは言う。仕事を、自他共に恥じることのない仕事を愛しなさい、どんな激動の中でも、自分の心の平和を保つようにしなさい、というわけだ。
 言うは易く、行うは難しだ。だが、この困難をマルクスは自分に課す。与えられた仕事が、至難中の至難である「皇帝」だからだ。マルクスは「生き急げ!」とさえ自分に言い聞かす。自己叱咤である。
 「つねに近道を駈け行け。近道こそは自然に適った道である。幾多の苦難、戦役、陰謀と虚飾から、人を解放する道だ。」
 皇帝アウレリウスは書を残して、哲人の列に入れられた。松下幸之助も人生の書を残した。二人とも近道を行く果断な仕事人であり、哲人である。