世界史の読み方(言視社)

認識を刷新する4つの論点

〈あとがき 1980年代末から1990年代初頭にかけて、与えられる媒体〔メディア〕を選ばず、社会主義(の「崩壊」)を、そして社会主義とは何か(=定義)、をテーマに、長短さまざまな論稿を連続して書いた。それに昭和天皇の崩御が重なる。この「流れ」は、2012年まで続く。だが70の退職を機に、ほとんどすべて「時流を追う」をやめた。ま、注文も来なくなったが。

 第1に、やりたい(残した)ことがあったからだ。『日本人の哲学』(全5巻全10部)を、そして『福沢諭吉の事件簿』(全3冊)、さらに『三宅雪嶺  異例の哲学』を書き下ろすことが出来た。すべて言視舎の好意による。幸運だった。これでわたしの「最後の最後」の仕事も終わった、と思えた。だが、である。

 2020年「コロナ禍」をテーマに「非常時の思考に足を掬われるな」(『最後の吉本隆明のマナー』(言視舎 2020 所収冒頭論稿)を書き下ろした。そして、時を接するように、「ロシアのウクライナ侵攻」である。まさしく、三宅雪嶺が述べたように「非常時」(と「非常時の非常時」)の「時代」(シーズン)に入ったかに思える。

 しかし、どんな難問であれ、「解決不能」な問題はない。それがわたしの常に変わらない思考マナー(哲学)だ。それも解答は「歴史」の中に、もっと凝縮していえば、「歴史=書」のなかにある。これを示すのが「読み」(reading)であり、哲学だ。

 本書も、新稿を「枕」に、『日本人の哲学』と『三宅雪嶺』のエキスを再構成する形式を取った。わたしの「旧稿」(だが最新稿)の「読解」である。堪能あれ。〉

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