読書日々 714

◆150306 読書日々 714
荒谷が定年だ。出会いから30年たったんだね。
1 3/3 uhbの荒谷が退職だということで、FM北海道の中田さん、亜璃西の和田さんと「祝い」をした。三人とも男と鎬を削って仕事をやり抜いた猛女である。わたしが70で退職する時もこのメンバー(+井上美香)が祝ってくれた。わたしだけタパスですこしだけ元気をつけて、6時から亘で存分に食べ飲んで、煌にいって唱った。ひさしぶりに元コンサドーレ社長の矢作さんがいた。わたしを除いてみんなカラオケが上手い。もう30年来の飲み友だちだ。「俺たちに明日がない」わけじゃないが、おのずと昔話になる。懐かしいわけではなく、愚痴話でもないが、おのずとあの人この人の話が出てくる。
2 ひさしぶりに曽野綾子さんの本を読んでいる。吉村作治さんとの対話『人間の目利き』(講談社 141208)である。「日本人の希望はアラブ化にある」(曽野)がキャッチコピーの本だ。だが「主役」はアラブ社会で仕事をし、アラブ妻と結婚するためにイスラム教に改宗した経験を持つエジプト学の吉村さんだ。
 わたしが最初に海外に行ったのはチャイナに返還される前の「香港」だが、本格渡航はミヤンマーに次いでエジプトで、真夜中にカイロからルクソールまで直行し、40度の砂漠をうろうろした。前年ちょうど日本人観光客がテロに遭ったところで、観光客はまばらだったが、クリスティのナイル殺人事件そのままの舞台に立ったという実感が湧かなかったほど、さらなる異界であった。このときサウジ、ヨルダン、イスラエルと中東を巡った。目の悪い人とゆく巡礼の旅の最初である。わたしなどはボランティアと称し、車いすを実際にも押したが、のんべいのもてあましものに違いなかった。大枚をはたいてなんども巡礼のたびに同行させてもらったものの、ついにキリスト教徒にはならなかった。
 吉村さんのイスラムに関する「蘊蓄」(fund of knowledge)を聞いていると、まあアラブ人は日本人一般となんと違う習慣と伝統で生きる人たちかとあらためて思える。わたしは伊勢神宮であろうが、ミラノのドウモでであろうが、神仏に願いをかけるということのない人間である。イスラムと似ていなくもない。寝るとき、ときに、アーメン、シャローム、南無阿弥陀仏などという言葉が出る。全部「ありがとさん」という感謝の言葉だ。親鸞の念仏は、感謝の言葉に極まる。「懺悔」でも「反省」でもなんでもいいが、そこに「ああ今日も生きることが出来た」という「謝意」がなかったら、つまんないね。この意味でならわたしも昔から曽野・吉村「党」に違いない。
3 4年間、女房のお古、ノートに載った。この4年間の走行距離は3万キロにも満たないが、人生の最終コースに入ったので、ちょっといい車に乗せてもらおうと思う。ただしトヨタやホンダではなく、日産である。車種が少ない。小さくて速い車が、さらに少ない。それに燃費が悪い。もっとまずいのは値段が高いことだ。技術の日産といわれ続けてきたが、なにもかにも、トヨタやホンダの後塵を拝している。それでも、日産に乗り続けてきた。かなりいい車にも乗ってきた。車なしには住めないところで30年だから、感謝もしている。
 『役に立たない日々』(2008)で、佐野洋子(1938~2010)は、癌の宣告で余命2年といわれた時、有り金をはたいてジャガーを買ったと書いた。わたしには女房がいるので、ポケットの裏側まで「はたく」などという恐ろしいことはできない。それでも、小さくて、高性能の速い車には乗りたいね。ゆっくりと走りたいね。エッ、1年で1万も走らないのに、もったいないって。わたしは『もったないない日々』を書くつもりなのだ。元を取るというせこい勘定もある。ケチで欲張りで行くつもり。ここんところが佐野とはちょっと違う。
4 山内得立(1890~1982)は、戦後、京大哲学の中心メンバーが公職追放され、第一講座のポストに座って、再建を担った。1920年、フッサールやハイデガーのいたフライブルク大に留学し、フッサール研究を日本で最初に出した研究者だ。でも『現象学序説』(1929)や『存在の現象形態』(1930)は、厚い上に読みにくい。やりきれないね。ただし、得立さんを「日本人の哲学」から外すわけにもいかない。