◆150704 読書日々 731
木村毅は、野呂栄太郎より年長なのだ!?
最近はほとんどプロ野球を見なくなった。セリーグに勝率5割を上回るチームがなくなった。珍事だが、1965~72年、ジャイアンツ9連覇のときも、人気はセ、実力はパといわれたのだから、ま、穏当なところだろう。
1 『日本人の哲学5』の8「雑知の哲学」は、いよいよ4コーナを回って、最後の直線、それもゴール間近になった。そういえば、最近の土曜日は、12時からのBS11をよく見ている。先週は武豊が不人気馬(7番人気のカジキ、6歳)に乗って、先行逃げ切り、特別戦に勝った。わたしはギャンブルには参加しないが、配当は気になる。単勝で、23倍払い戻しがあった。武自身もちょっと自慢げに書いている。
2 長沼の馬追山の中腹に住んであと1月で30年になる。もとは完全な過疎地で、住民ゼロ、隣村に通じる古道は峠のところで途切れていた。もちろん真っ暗で、満天の星空である。よく、なぜそんなところに住んだの、と聞かれる。はっきりした理由が、4つほどあった。愛郷があり、職場に近く、実家に「広大」(?)な書庫を新築したのに、それでも引っ越したい「私」的理由である。
ただし、1985年である。すでにネット社会に入りつつあった。どんな田舎に住んでいようと、編集者に会わなくとも、書く仕事はできるようになっていた。のちに、『過疎地で快適に生きる方法』『知的インターネット生活術』等々で紹介するような生活がはじまったのだ。わたしの量産時代の開始である。
世の中は、どこもかしこも土地と株、それに公務員の給料の値上がりで沸き立っていたが、3つともわたしの前を素通りしていった。「公金私消」、すなわち官庁や会社の金で飲み食い、遊興していた時代だ。「バブル」である。しかし、このときすでに先進国では「デフレ」に突入していたのだ。
3 長谷川慶太郎さんが、バブルをあおった張本人のように非難されたが、「戦争と革命」の時代から、「平和と安定」の時代、「価格破壊」の時代への転換だ、と喝破していた。もっと驚いたのは、銀行に金を預けても、利息は付かない、むしろ出し入れに手数料を取られる、と書いたが、おおかたは本気にしなかった。「バブル」がつぶれる。しかし政治経済にバブルがないと、社会は沸騰しない。元気にならない。バブルは必ずつぶれる。問題は、つぶれ方だ。日本政府(大蔵省)のつぶし方は、最悪だった。
10年以上前、ギリシアやポルトガルにいった。イタリアにはなんども訪れた。団体旅行だったが、どの国も「バブル」だった。だがEUである。借金できる。優雅にやっていた。ところがギリシアなどは、10年ごとにデフォルト(借金返済不履行)をくり返している。それでも懲りない。返済猶予を約束した党に、国民が票を投じた。借りた金は返さない、である。
日本国家の借金は1000兆を超えた。じゃあデフォルト状態なのか。借金はどんどん増えているが、借金して、返せている。今年は税の収入も増えた(らしい)。貸し主は「国民」である。それでも、国民は借金を返す生活がいやだ(らしい)。
4 ようやく伊藤痴遊を終え、木村毅(1894~1979)に取りかかっている。「雑知」の王様は、「歴史」である。「事件」だ。木村毅は、つい最近まで生きていた、ということにまず驚かされる。木村は『丸善外史』(1969)を書いた。丸善にかかわった人は、福沢諭吉はじめ、わんさといる。わたしは出版年を見ずに読んだ。
木村は、昭和の初めの「円本ブーム」をつくった陰の張本人である。改造社の現代日本文学全集、新潮社の世界文学全集の「編集」を手がけた。松本清張は、作家になる前、木村の『小説研究十六講』(1915)を座右の書としていたことはあまりにも有名である。 木村は「評論家」として分類されるが、小説も書き、『早稲田外史』(1964)をはじめ、明治大正期の「外史」をたくさん書いている。その本をかなりたくさん読んできた。教えられるところ多いが、書き方はいささか大げさすぎるのに、伊藤痴遊と違って、書いたものは散文的である。「文学」好きだが、文学的ではない。どこまでも評論なのだ。細部の詰めが甘い感じがする。(わたしにも同じるかも。)